「女学校と女学生:教養・たしなみ・モダン文化」
稲垣恭子著「女学校と女学生:教養・たしなみ・モダン文化」中公新書、2007年。
まもなく発表される第82回アカデミー賞に関する、Hollywood Stock Exchangeの予測市場が行われている。日本時間3月7日(日)午後2時30分現在の価格をメモ。
※追記。
受賞者・受賞作発表。HSXは脚本賞と脚色賞を除く6部門で的中。
「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」ということばがある。この手のものにはうといのだが、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの作品「ガリレイの生涯」中の台詞らしい。1939年の作品だそうで、事情は知らないが時代背景を考えるとさもありなんという感じはする。
そんなことをふと思い出したりした一件。ずっと小さなレベルでだが、私たちにとってはそれなりに意味があると思うので。できるだけ手短にいきたいのだが無駄に長い文章を書く芸風らしいのでそこは仕様ということでひとつ。
長らくCFTC審査中だった、Cantor Exchangeの映画先物市場がいよいよ4月20日に最終的な認可になるらしい。ほどなく「DBOR (Domestic Box Office Receipt) Movie Futures」が取引開始になるようだ(プレスリリース)。日本からの取引はいろいろあってアレだが、最もポピュラーな予測市場の1つであるHollywood Stock Exchange(HSX)が対象としている映画関連予測を扱うわけで、現実通貨化という1つの流れがまた1つの段階を迎えることになる。
「スイーツ(笑)」という表現は最近、かつてほどは聞かなくなった。このことばは「ネット流行語大賞2007」で銀賞に選ばれたらしいから、そのころが「旬」だったということになろうか。そろそろ「賞味期限」が終わりつつあるのかもしれない。
自然発生的に生まれた流行語だから、このことばが意味するところは必ずしも明確ではない。Wikipediaでみるとこのあたりの話が異様に詳しく出ていて、よほどのこだわりがある人が書いたにちがいないと思うが、まあそれはさておき、おおざっぱにいって日本には「スイーツ女子」が100万人くらいはいるらしい。
といってももちろんネタ。雑誌「Sweet」が100万部くらい売れてるらしい、というだけの話なんだが。というわけで「雑誌目次をみる」シリーズ。
小ネタ。「評論家」という職業の人に対しては、どうもおっかないという印象がつきまとって離れない。別に評論が悪口とちがうくらいのことはわかるんだが、自分の偏見か、どうも辛口の方が多いように見える。ちっとやそっとじゃあほめてなんかやらないぞ、みたいな。特にこわいのは文芸の領域。評論家と聞いただけでもう脳内では海原雄山みたいな顔がいっぱいに広がってきてしまって、うわー助けて勘弁して、と逃げ出したくなる。自分が評論の対象になってるわけじゃもちろんないのに。
というわけで、毎週こわいもの見たさでちら見だけしている朝日新聞の文芸時評欄。斎藤美奈子氏が書いてるのだが、この人の「毒舌」ぶりがまたはんぱじゃない。2010年2月23日付の文芸時評欄で石原慎太郎氏の作品が取り上げられていて、その斬り捨て方があんまりといえばあんまりなので思わず全文読んじゃった。
IT業界の人が大好きなことばに「キャズム」というのがある。普及過程でアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間にある「溝」を指したもので、要するに広く普及していく方向へ向けた軌道に乗ることを「キャズム越え」と呼んだりする。となると、日常会話でも半ば冗談で、「○○が××したらキャズム越え」といった目安が語られることになるわけだが、「女性週刊誌が取り上げたらキャズム越え」はその典型的な1つだろうと思う。
その意味で、「女性セブン」2010年2月25日号がtwitter特集を組んでいることは注目される。久々の「雑誌目次をみる」シリーズ。
「ダダ漏れ」という言葉があちこちで見られるようになった。いうまでもなく、「ケツダンポトフ」の「そらの」さんの活躍によるものだ。事業仕分けやウェブ学会など、名だたるイベントに乗り込んで起きていることをノーカットで中継するスタイルは、マスメディアによる編集された情報に慣れた目には新鮮に映る。「あれはジャーナリズムじゃない」という批判も、もはや無視できない影響力を持っていることの裏返しだ。
とはいえ、もちろん全員とはいわないが、どうも世間の少なからぬ人々の間に、「ダダ漏れ」に関連してある種の誤解があるように思われるのでひとことだけ。ちょっと釣りっぽいタイトルだが、実際若干挑発的でもあり、でも一応割とまじめで、かつ前向きのつもりだったりもする。ちょっと長文。
2010年1月30日付朝日新聞に、事務次官制度改革の話が出ていた。現政権が事務次官会議を廃止したのは知っていたが、公務員制度改革の中で、事務方を束ねるトップの存在自体をなくすことで政治主導を実現しようということらしい。ふむ。確かに次官がいれば下の人たちは大臣ではなく次官を見て仕事をするようになるというのは道理だ。記事によれば、具体的には「次官ポストを事実上、「格下げ」し、筆頭局長のような取り扱いにする」案が検討されているようだ。次官になれば「上がり」というわけではなく、また「局長」に戻る、と。しかしこの改革、官僚たちから強烈な反発を受けているらしい。
これはいかん。なんとかしなければ。官僚の強固な抵抗を排し、事務次官制度をどうにかするために、2~3分ほど知恵を絞ってみた。という体で久々にネタ100%の小ネタ。
しばらく前に「モテ・非モテ」みたいな議論がネットでさかんに行われていたように思う。その当時は議論に参加しようとはあまり思わなかったのだが、その大きな理由の1つは「何がモテ・非モテなのかわからない」だった。いろいろな人がそれぞれに定義をしていて、その定義の混乱が白熱する議論のほとんどを作り出しているように見えたので、それに参加するのはあまりに不毛だと思ったわけだ。「非モテ」の人が集っているらしい「非モテSNS」を見ても、「非モテとは=モテない人たち」としか書いてなくて、これじゃ何もわからない。そうこうするうちに時間もたち、すっかり忘れていたのだが、久しぶりに思い出した。岡田斗司夫氏が2010年1月23日付朝日新聞「be」の「悩みのるつぼ」欄で「モテ」に関するきわめて明快な定義を示していたからだ。
授業中、たまに小テストをやることがある。ポイントを理解しているかを確認する本来の意味での小テストの場合もあるが、中には出席確認やらアンケートやらを兼ねた、あまりテストっぽくないものも含まれる。以下のものもそういった一例で、新聞や雑誌、テレビやラジオなどのマスメディアが、科学的根拠のない、星座や血液型などによる占いや性格診断をよく取り上げているが問題はないのか、という点について意見を求めてみたもの。
で、結果からいうと、大勢は予想通り「問題ない」という意見だったのだが、その理由でいくつか面白いものがあったのでメモしとこうと思った次第。
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