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April 07, 2004

娯楽としての投資

小塩隆士著「教育を経済学で考える」(日本評論社、2003年)の中に、教育は将来に向けた投資であると同時に消費でもある、という一節がある。学ぶことは知的欲求を満たし自らを「知性」というブランドで飾る消費というわけだ。一見突拍子もない考えだが、実は投資という行為のある側面をもよくあらわしている。金融商品に投資する場合でも、どの商品、どの銘柄に投資するかを考える過程は、いかにお買い得商品を選ぶかという選択眼を競うゲームと酷似している。

投資は楽しい。しかしこれは通常のファイナンス理論に真っ向から対立する考え方である。投資家はリスク回避的で、リスク最小化のため分散投資を行う。投資は将来の消費のために現在の消費をあきらめることであり、その代償が金利である。これらはファイナンス理論をかじった者ならば誰もが知っている「イロハのイ」である。理論を否定するつもりはもとよりないが、理論が前提とする投資家像は、現実の投資家の一面しかとらえていないかもしれない。私たちの周囲には、投資をゲームのように楽しむ人々が少なくない。彼らにとって、将来の不確実性はゲームを面白くするルールの1つであり、サーファーにとっての波のように、避けるよりむしろ楽しむものとなっている。
最近は株式市場でも個人投資家の活動が活発になってきてはいるが、わが国の金融市場において、1300兆円に及ぶ個人金融資産の中に占めるリスク性資産の割合が低いことはかねてより問題となってきた。これまでリスクを引き受けてきた銀行・企業セクターがそのキャパシティを減らしており、個人投資家のさらなる参加の必要性が叫ばれている。しかし現在具体化されている政策は、金融商品販売ルートの増加と、税制上の優遇措置が中心となっている。これらは、情報量、資金力、判断能力に劣る「弱者」である個人投資家を保護するという制約の下で、既存の金融商品をいかに買わせるか、という発想である。
これに対し「娯楽としての投資」という視点は、考え方を根本的に切り替えるものである。投資家の好みにあったさまざまな対象、リスク=リターン特性を持つ金融商品を自由に設計、販売でき、最小限の取引コストで市場に参加できるよう規制を緩和することなど、投資を娯楽として楽しむ環境を整備するための政策が求められる。
むろん、投資において安全性を重視する傾向は強く、娯楽としての投資資金は一部にすぎないだろう。しかしより多くの国民が少額の余資を金融資産に投じるようになれば、結果としてリスクが個人セクターに分散され、社会全体のリスク耐性が高まる。保護の名の下に投資機会が過剰に制限されたり、高コストなものを押し付けたりすれば、リスクを楽しむ資金はギャンブルへと流れる。単なる所得の再分配で経済発展への寄与が薄いギャンブルより、金融資産に投資してもらうほうが、私たちの経済全体にとっても望ましいのではないだろうか。

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