自己責任論
「自己責任論」がさかんに主張されている。イラクの人質事件で人質となった人々に対し、「渡航自粛勧告を無視して行ったのだから自己責任だ」「救出にかかった費用を負担せよ」といった主張だ。中には人質のバックグラウンドから「自作自演なのでは」と邪推するようなものまである。一方擁護派もいて、「国民の救出は国家の責任」「そもそも自衛隊派遣が原因」と反論する。今は批判派のほうが主流のようだが、みていて、どちらも、何か議論がずれているなと感じる。
そもそも自己責任とは、何に対する責任だろうか。確かに国やら北海道やらが、人質事件の解決までの間に、さまざまな費用(かなりの額になるらしい)を支出したのは事実だろう。しかし、国民が他国で窮地に陥ったときにこれを救出するのは、まさしく国家の責任である。登山中の遭難者を救出するのも、火災の発生した住宅から住人を救出するのも同じことだ。税金の一部はこうした目的のために支払われているはずで、この点において、擁護派の議論は正しい。
しかし一方で、拉致が伝えられた直後、家族がいきなり「自衛隊の撤退を検討せよ」と主張したことには、どうしても違和感を覚える。あちこちで言い尽くされているので繰り返すつもりはないし、人質の家族の必死の思いは理解できるが、テロリストを非難する前に日本政府の政策変更を要求するのはどうにもバランスを失しているし、首相に会わせろと主張するのもあまりにも政治的な行動だ。「自作自演」説が出た背景はこのあたりにもあるのではないか。
この問題での自己責任は、自らの行為の結果自らに生じる事態を人のせいにしない、という態度だろう。裏でどのような交渉が行われたのか(そして身代金がいくら支払われたのか)は知らないが、少なくとも政府は「テロリストの要求(自衛隊撤退)は受け入れない」という方針を貫いた。今回は無事救出されたわけだが、自衛隊を撤退させなかったがゆえに万が一殺されていたとしても、政府がその方針に基づいて最善を尽くしたのであれば、政府を批判するのは筋違いだ。
人質の家族が当初どのように考えていたかは知らないが、少なくとも、事件発生後しばらくの間は、人質問題を自衛隊撤退論につなげたがる人々や一部マスコミの論調が目だった。万が一人質が殺されていたら、政府批判の大キャンペーンが展開されたであろうことは想像にかたくない。こうしたことが批判派の反発を大きくしたことは確かだ。その意味で、人質問題はこれらの人々によって政治的に利用されたという印象を受ける。
しかし今は逆に、批判派のほうが、この問題で世間的に優勢であることを政治的に利用しているようにも見受けられる。いずれにせよ、直接の利害があまり濃くない人たちが関わるとき、特に政治関係者やマスコミが関わるとき、それは必ずしも純粋な意図ではないかもしれないということを頭に入れておくべきだろう。
The comments to this entry are closed.
Comments