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May 04, 2004

これは報道ではない

@niftyのニュースをみていたら、「66%が教員に社会常識要望」という見出しの記事があった。共同通信配信のニュースで、横浜市の市民や市立小中学校教員らに対する「教育ニーズ調査」へのアンケートで、記事にはこう書いてある。

「市民の66%が教員に「社会人としての常識」を望んでいることが3日までに分かった。市民671人と、市立小中学校の保護者2674人、教員1411人が回答。「教員に望むこと」の質問では、市民の70%、保護者の69%が「非行やいじめへの適切な対応」を挙げた。「社会人としての常識」を求めたのは市民の66%、保護者で50%。」
(記事はこちら

ちょっと待てよ、と思う。

引用した本文を見れば一目瞭然だが、回答の中でもっとも多かったのが、「非行やいじめへの適切な対応」である。見出しにある「社会人としての常識」ではない。確かに回答した割合も近いし、教員の中に社会人としての常識に欠ける者がいることは社会問題ともなっていて関心も高いのはわかる。別に目くじらを立てることでもないといわれればその通り。

しかし、2つ挙げられた回答のうち、市民、保護者の双方とも最も回答が多かったのが「非行やいじめへの適切な対応」であったのだから、そちらを見出しとして構成するのが事実に即した姿勢ではないのか。これは明らかに、報道機関の意思が介在している。事実を改竄や捏造はしていないが、少なくとも歪めている。これは報道機関による意見の表明であり、報道ではない、と思う。

もしこれも報道だというなら、報道機関と政治団体のちがいはどこにあるのか。事実をもとにして自らの意見を述べる点で、変わりはないのではないか。同じ事実に対して、某新聞社と某新聞社の記事の見出しや内容がしばしば正反対の印象を与えるものになっているのは誰もが知っている。今回のことは小さなことで、実害もないかもしれないが、報道機関と名乗る組織の行動様式がいかなるものかをうかがわせる一例でもあると思う。

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