「苦情」市場?
福井商工会議所は5月17日、さまざまな商品やサービスに対する苦情を集め、商品の改善や新製品開発に生かしてもらうWebサイト「苦情・クレーム博覧会」をオープンした。投稿された苦情に対して賛同した閲覧者が投票し、投票数に応じて投稿者は報酬を得るという(記事はこちら)。
苦情の投稿は無料だが、それを閲覧する際には利用料として1,050円を支払う。利用料は、60日間の閲覧権と、100円×5票の「投票権」を含んでおり、閲覧者が「参考になった」と思う苦情に対し、票を投じることができる。投稿者は、得票数×100円から手数料300円を引いた金額を報酬として受け取る。
平山秀樹さんのblog(これとかこれ)やkatzさんのblog、それに本blogなどでは、ここ数日、ネット内での「認知」やリンクを通貨として扱えるのではないかという議論が展開されている。この記事を読んで、上記の意味で「逆」認知通貨というか、「苦情」通貨というか、そういったものといえるかもしれないと考えた。
しかしよく考えてみると、「苦情」そのものは通貨ではない。「苦情」は交換されず、ただ陳列され「買い手」を待つ「商品」だ。買い手はそれに対して1票(およびそれに付随した対価)を投じることで、「共感」やら「言いたいことを言ってくれた」とかいう満足を得る。商品を提供した投稿者は、「認知された」という満足とともに報酬を得るわけだ。つまり、「商品」としての苦情と「対価ないし報酬」としての認知やら金銭やらは、性格が異なる。このしくみでは金銭をやりとりするが、仮に金銭のやり取りがなく、苦情に対する「認知」がポイントのようなかたちで蓄積されるしくみとなっていたとすれば、その「認知」は通貨に近い性格のものとなろう。ただし第三者への流通性には疑問があるから、仮に通貨としても地域通貨のようなものかもしれない。
「認知」通貨の場合は、ある人の主張に対してコメントなどのかたちで「認知」を与えることは、最初の主張と質的に異なるものではない。つまり取引の対象となる「商品」と交換の媒体となる「通貨」の区別ができないのではないか。その意味で、平山秀樹さんやkatzさんの考えるものは、物々交換に近いものだと思う。
それにしても、福井商工会議所はよくこうしたしくみを考えたものだ。12月20日までの時限的なものというが、もっと発展して、永続的なしくみになると面白いと思う。
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Comments
トラックバック、ありがとうございました。ネット事業を行う立場から利用できそうなインデックスや、事業者の目から見た新しい価値の活用方法などはイメージしやすいです。一方、その結果、個人の側ではなにが起こってくるかなど、想像がむずかしい領域が多々あり、少し考え込んでいます。
Posted by: miyakoda | May 18, 2004 11:10 AM