大同団結と擬似「囚人のジレンマ」
選挙の記事などをみていつも思うのだが、野党が結集すると、与党の勢力を上回ることがあるのに、なぜそれができないのだろう。たとえば、どの選挙にも必ず立候補者を立てる(ほとんどの場合まったく当選する見込みがないにもかかわらず)ある政党を考えてみると、与党の最有力候補とその次の順位の野党候補の勢力の差が小さいときには、その政党が候補者を立てずに票が野党候補者に集中すれば、与党候補者を破れたはず、ということがよくある。この場合、「必ず候補者を出す」政党は、与党への反対票の分裂を招き、かえって与党に味方していることになるのではないか。これは、「囚人のジレンマ」に似た状況と考えることができる(すでにこうしたことを言っている人がいるかもしれない。ゲーム理論に詳しい方、こういうモデルがあったら教えてください)。
単純な例を考える。与党が1つ、野党勢力がA党、B党の2つの党からなるとする。与党は単独では過半数に達していない。野党はいずれも与党とは対立しており、連立政権を組むつもりはないものとする。したがって、ここでの野党の選択肢は、もう1つの野党と「組むか、組まないか」という2つになる。さらにここで、野党のうちB党は、「自党の政策を絶対に曲げることはなく、どんな選挙であっても必ず候補者を立てる」という戦略を一貫してとっているものとする。
野党2党が共同で候補を立てるためには、政策面で折り合いをつけなければならない。しかしA、B両党の政策が異なっている場合、折り合いをつけることは極端に難しくなる。B党が政策を変えようとせず、自党候補者にこだわる以上、A党にとって、「折り合いをつける」とは自党の政策を曲げ、B党にすべて合わせることを自動的に意味する。これはA党の支持者にとっては賛成しがたいだろう。特にB党のほうが少数派であった場合にはなおさらである。
A党、B党の戦略の組み合わせを(A党の戦略、B党の戦略)と表記すると、次のようになる。
①(協調する、協調する)…不可能
②(協調する、協調しない)…A党が納得しない
③(協調しない、協調する)…不可能
④(協調しない、協調しない)…実現可能
つまり、④の組み合わせだけが実現可能である。「囚人のジレンマ」のナッシュ均衡解によく似ていないだろうか。
ここでいえるのは、大同団結できない野党は結果として与党の味方となる可能性がある、ということだ。たとえその主張が正しくとも(政策が「正しい」かどうかにはいろいろな議論があるだろうが)、勢力を握らなければ自党の政策を実現することもできない。自党の政策が完全に実現できるのでなければ全く実現しなくてもかまわないという態度は、果たしていかがなものか。
Disclaimer: 上記はあくまで単純化された「架空の例」であり、たとえどんなに現実の状況に似ているとしても、特定の政党を支持または批判するものではない、としておく。
The comments to this entry are closed.
Comments