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May 28, 2004

仏教経済学

「仏教経済学」なるものが存在することを最近知った。拙い理解だが、一般的な経済学が近代西欧の市場主義的な考え方に基づき、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にみるごとく、キリスト教の影響を受けているのに対し、仏教的な考え方を取り入れるべきだ、という主張のようだ。(仏教経済学に関する解説は、こちらこちら。もう少しまとまったものはこちら

仏教的な考え方とは、たとえば「足るを知る」、つまり多くを消費することによる満足の最大化を指向するのではなく少ない消費で満足することに価値を見出す、というようなことだそうだ。経済成長を絶対視しない考え方、ということになろうか。また労働については、近代経済学ではコスト、すなわちできれば最小化すべきものとしてとらえ、結果として大量生産や国際分業の必要性が導かれるのに対し、仏教経済学における労働の役割は、「人間にその能力を発揮・向上させること、協同して労働することで自己中心的な態度を捨てさせること、尊厳を保つための財とサービスを造りだすことである」とされているらしい。いってみれば、労働を「喜ぶべきもの」ととらえる考え方だろうか。

少ない消費で満足することへの指向、労働の積極的な価値など、共感するところは多い。ただ、仏教を持ち出さなければならないのかどうかについては、よくわからない。「キリスト教経済学」も「イスラム教経済学」もないわけだし。そもそも、ウェーバーがプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を結びつけたのは、それが自明のつながりであったからではなく、逆に弁明を要するような、当然にはつながらない関係であったからではなかったか。近代経済学の考え方の中に、キリスト教的な考え方の影響を受けたような部分(たとえば、自然と人間を分けて考え、自然を収奪しうる資源と考えることなど)があるのは事実だろう。しかしそれは、近代経済学そのものに起因するのではなく、キリスト教の考え方の影響を受けた人々が経済学モデルを組み立てたからではないか。現に、モデル構築上の仮定を変えれば、最小の消費で満足すべきという考えも、労働が喜びであるという考えも、近代経済学の帰結として導くことができる。

別に仏教を目の敵にする意図はない。仏教経済学の主張するところに共感もする。ただ、それが「仏教」を持ち出さなければならないということはないのではないか。「仏教」を標榜することによって、他の宗教を信仰する人々に対する説得力を失うことにはならないか。経済学とは、希少資源の効果的な配分によって、社会の中での人間の幸福をめざすものであったはずだ。仏教もキリスト教もイスラム教も、その他の宗教も関係ない。信仰そのものを前提とする必要はないのではないか。こんなところで「宗教戦争」が始まってはかなわない。

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Comments

こんにちは

ひできさんのサイトからやってきました。私も仏教経済学と言う言葉を最近知りました。

水野 隆徳氏、船井幸雄氏、あたりが書いているのを読んだことあります。(←この方々がどんな方々なのかまだよく知らないのですが。)

どうせ、このままのやり方でやっていたらエネルギー資源などは枯渇するのは目に見えているので、何かこんな方向に発想の転換をしていく必要があるのかもしれませんね。

Posted by: Hiroette | May 28, 2004 09:35 AM

山口さん、こんにちわ、

おっと、Hiroetteさんに先を越されていましたね。

「仏教経済学」を今日始めて知りました。シューマッハの考え方についての論文を印刷して読もうとしています。でも...なんか違う、という気がしています。

どちらかというと、橋本大也さんが「複雑系」について書いていらっしゃる感性の方が、私には腑に落ちます。

http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001604.html

Posted by: ひでき | May 28, 2004 06:30 PM

複雑系って私の周りの人が結構口にする言葉なのですが、いまいちまだ私がそれが何なのか良く知りません。フラクタルの事???

もしお勧め図書などありましたら、教えていただけると嬉しいです。

Posted by: Hiroette | May 29, 2004 11:02 AM

Hiroetteさん、こんにちは。コメントありがとうございます。仏教経済学ですが、「経済学」としてはまだ熟しているとはいえない段階のように思えます。仏教系の大学などでは講義もされているようですが。資源枯渇に関していうと、人間はかつて幾多の資源危機、エネルギー危機を技術革新によって切り抜けたきた由。エジプトあたりの砂漠化もレバノン杉を切りすぎたからだとか聞きました。だから資源危機が「自明」かどうかはわかりませんが、少なくとも人間の「満足」が資源消費量だけでは測れなくなってきているのではないかという気はします。その意味で注目すべき考え方だと思うのですが、何も「仏教」を名乗らんでも、というわけです。

「複雑系」については私の知るところはほとんどないのですが、本blog管理人として知る限りのことを。少なくともフラクタルとカオス理論は複雑系といわれるものの仲間のようです。フラクタルは全体構造と部分構造が同じかたちになっているような構造をさすようです。カオス理論は、決定論的なプロセスでありながら初期条件に敏感なため将来が予測不可能になる、といったものと聞きました。それがいったい何の役に立つの?と問われると、すいません、「さぁ」と言うしかありません。今日もソニーの高安さんのご講演を聴いてきたのですが、「それがいったい」と問いたくなってしまって、畏れ多いのでやめました。ご存知の方、教えてください。

Posted by: 山口 浩 | May 29, 2004 10:44 PM

複雑系について私がはるか昔に読んだのは、山口昌哉著「カオスとフラクタル-非線形の不思議」ブルーバックス、1986年(ISBN: 406132652X)です。今でもアマゾンで売っているようです。書評では「古典的名著」だとか。内容は古くないのか心配ですが、わかりやすい本だったと記憶しています。

Posted by: 山口 浩 | May 29, 2004 10:50 PM

山口さん

色々と情報をありがとうございました。

私も複雑系ちょっと勉強してみます。というのは、この理論がどんどんエネルギーを使い続ける今までの資本主義社会に代わって何か世の中を救う理論になるのかもしれないっていう予感がするんです。

これは、単なる直感なのでほんとうにここのサイトの方々のような理論的根拠はないのですが、私の中に入ってくるさまざまな情報を総合して考えてみると、なんだかそんな気がするのです。

こちらのサイトにも書き込みありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

Posted by: Hiroette | June 02, 2004 09:20 AM

Hiroetteさん
原油価格の高騰にかなり危機感を感じておられるご様子(http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/756)。ただ、私の知る限り、今の原油価格の高騰は、長期的な石油資源の枯渇に関するおそれとはほとんど関係がないようです。むしろ当面の地政学的不安定性(産油施設にテロがあれば、需給関係が一変するリスクがあります)と、産油量に関する産油諸国の綱引きで左右されています。
私にとっては、このように長期的な危機感に欠けている現状こそが問題のように思われます。人々が今のことばかり、自分たちのことばかりを気にして、世界のこと、子孫のことを考えない様子、私はそこに「ナウシカ」的世界を連想します。

Posted by: 山口 浩 | June 02, 2004 10:46 AM

山口さん

TBありがとうございました。

そうですよね。今日明日どうなるってことではないんですけどね。マスコミが第3次石油ショックか???とかって煽ってたんでふとそう思ったんです。

もし、石油が国内に入ってこなくなったら、結構大変だよなーと。あまりにも石油に私たちは依存していますからね。

だから、小泉さんがアメリカに追随して自衛隊をイラクに送った、けしからん、と言っても石油のことを抜きにして考えられないというのが日本の現状じゃないのかなーと思ったんですね。

Posted by: Hiroette | June 02, 2004 11:25 AM

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