政治のオープンソース化:「プロ」でないことの強み
木村剛氏が、厚生労働省に対して年金関係のデータ開示を請求していたが、このほど開示するとの通知を受けたとblogで書いていた。A4版で4991枚もの量だそうだ。木村氏の呼びかけに応えて、一橋大学の高山憲之教授と日本総研の西沢和彦氏がこのデータの分析を行うことになっているという。
この一連の流れは、木村氏の活動によって始まったものであるが、木村氏は政治家ではない。木村氏はこれまで金融分野で政策形成に大きな影響を与えてきているが、年金に関して発言し始めたのは、知る限り比較的最近だ。KFiという企業の活動内容は詳しく知らないが、おそらくコンサルティング関係なのだろう。それにしても、年金制度に関する議論が本業であるとは思えない。協力を申し出た高山氏や西沢氏は、年金問題のエキスパートではあるが、この活動自体が本業とはいいがたいだろう。
ここで書きたいのは、こうしたいわゆるオープンソース的な活動が、実際の政治を動かす力を持つようになる可能性についてである。
木村氏の活動には、いわゆる「素人」の中にも応援団となる者があらわれている。運動の旗振り役をかってでる者(この方)、OCRやらネット検索やらを請け負うと申し出る者(この方)、10万円に及ぶ費用の一部を負担しようとカンパを申し出る者(この方)など、いろいろだ。賛同の意を自分のサイトで表明する共鳴者はさらに多いだろう(たとえばこの方)。こうした人々は国民のごく一部であろうが、「発言する人々」であり、その影響力はばかにできない。
これまでも、選挙などの際に人々がいわゆる「勝手連」的に特定の候補を応援したりすることはあった。その意味で今回の動きも、ネット版「勝手連」ということができるのかもしれない。しかしここでは、高山氏や西沢氏など、専門家がそれぞれの領域で貢献しようとしている点で、ややちがっているように思う。Linuxが多くの専門家たちの自発的な貢献によって改良されていったように、政策の策定プロセスに自発的な専門家たちの関与を受けることには大きなメリットがあると思う。
ポイントは、これらの専門家たちが、それによって報酬を受けるという意味での「プロ」ではない、ということだ。「プロ」は、報酬を受け取って業務を遂行するがゆえに真剣に取り組むことが期待されるが、同時に保身の必要性から保守的になることもあり、しかも報酬の出し手の意向に反することは難しい。しかし「プロ」でない専門家であれば、こうしたしがらみはなく、より客観的な立場から物事をみることが可能にとなする。「プロ」でないことの強みだ。
勝手連の「素人」がだめだといっているのではない。彼らはもちろん力強い味方だ。しかし一般的には、彼らは問題解決の提案には残念ながらあまり期待できないし、また熱しやすくさめやすいという問題点も持つ。これに対し専門家であれば、これも一般論だが、問題解決への新たな提案も期待できるし、一定のコミットメントも期待できる。これを「素人」が支えるかたちが望ましいのだろう。
この点で、木村氏の年金問題への取り組みに関しては、少なからぬ「素人」からの応援がある。やはりここでは、さらに多くの専門家の関与が欲しいところだろう。報酬のためではなく、専門家としての責任感などから自分の力の一部を貸してくれる専門家たちが、だ。こうした動きがさらに広がり、一般化すれば、日本における「政治」というものへの考え方が変わってくるかもしれない。「誰か」に任せておく政治から、自分で参加していく政治へとだ。
ちなみに木村氏は、blogで「ただし、単なるコンピュータからの打ち出しで、数字や記号ばかりが並んで、見ても何がなんだか分からないような公表の仕方である場合には、その現物を公表して、『国民に対してこういう不親切な情報の出し方をする役所なんだ』という事実を明らかにさせていただきますので、予めご容赦ください。」といった脅しともとれる文章を書いているが、これはあまりいただけない。第一に、こうした態度は官僚を過度に防御的にさせる。馴れ合う必要はないが、不必要に対立するのも得策ではない。目的はよりよい年金制度の実現であり、官僚の責任追及ではない。制度を実際に構築し、運営するのは官僚なのだ。そして第二に、開示のために資料を別途用意させることは望ましくない。改変が心配だし、官僚の時間資源も限られている。ただし、組織の各段階で、権限者へのブリーフィング用のペーパーは用意されているだろう。上のクラスの官僚が、「不親切」な原資料をそのまま読んでいるとは思えない。その類はぜひ開示してもらいたい。
基本的に、開示された資料の分析は、開示を要求する国民の側のやることだ。そのために、専門家の関与が必要なのだ。それに、単価が適切かどうかは別として、開示に一定のコストが必要なこともやむをえない。有益な目的のために資料開示を要求する者ばかりではないのだ。そのために必要なコストを皆で負担するしくみ作りも必要だと思う。政治には金も時間もかかる。この当たり前のことを改めて認識して、それを自分たちの手に取り戻していくことが必要なのではないだろうか。それでも、「プロ」に金を払って一切を任せるよりは安くつくのではないかと思う。
何かと言動の目立つ木村氏には敵も少なくないだろうが、善意にとれば、木村氏や、その呼びかけに応えた高山氏、西沢氏らは、おそらく専門家の「ノブレス・オブリージュ」として、この役割をかって出てくれているのだ。他の専門家の皆さんも、主義主張はともかく、この新しい試みに参加してもらいたい。専門家でないわれわれは、そうした活動に賛同するのであれば、それを応援し、他の人々に広め、必要なコストを分担するなど、自分たちにできることで参加していく、ということなのだろう。
こういうのを、「民主主義」というのではないだろうか。
« The Obesity Myth: Why America's Obsession With Weight Is Hazardous To Your Health | Main | 年金タスクフォース:過大な期待は禁物 »
The comments to this entry are closed.
Comments
すばらしいご見識に感服致しました。
情報公開法の詳しい部分はよく分からないのですが、上層部の役人への説明資料の所在がつかめれば、それを直接開示請求することができるのですが・・。
原資料を公開請求の対象として、「わかりにくい資料だ」と評価しても、官僚の高みから見ている彼らとしては「だってそれを請求したんだろ?」って言っているようで、そういった評価や批判そのものが通じはしないだろうなぁ、と素朴に思ってしまいます。
そのあたりは我々素人よりも政治家のほうが内部をえぐれる、という漠然とした期待があるのですが・・。
Posted by: cogno_eb2 | June 19, 2004 01:58 PM
cogno_eb2さん、コメントありがとうございます。
確かに、私たち素人のできることには限界があります。もっと専門家の関与が必要だといっているのはそのためです。政治家の方々は、そうした作業をかって出るべき存在なのでしょうが、忙しい人が多い(特にまじめにやっている人は)し、結果が政治的に受け止められてしまうという問題点もあります。
できれば、独立系のシンクタンクなんかがやってくれるといいんですがねぇ。アメリカなんかだと、そういう組織がけっこう活躍しているようです(ヨーロッパにもあるでしょうね)。そういうところは、向こうのシステムをうらやましく思います。
Posted by: 山口 浩 | June 24, 2004 09:46 AM