« 会計士は(少しは)変わった。今度は監査役 | Main | プロ野球を考える ②経営学的にみた球団合併問題 »

June 14, 2004

プロ野球を考える ①「公共財」としてのプロ野球

近鉄-オリックスが経営統合するとのニュースが流れた。報道などをみていると、この動きに対し、「地元の球団を守れ」とか「企業エゴだ」など、批判的な論調が少なくないようだ。

プロ野球は以前から、観客数の伸び悩みと選手の年俸の高騰に悩まされてきた。今回のニュースは、それがオーナー企業にとって耐えられない程になってきていることのあらわれだろう。半数の球団が経営難に直面しているという。このような状況は、プロ野球が「公共財」化したと考えれば自然に理解できるのではないか。

プロ野球の直面している状況は、簡単にいえば、人々がプロ野球に対して持つ関心ほどには金を支払おうとはしていないということだ。たとえばわれわれは、プロ野球に関する情報をテレビや新聞などで日常的に入手し楽しんでいるが、それに対して直接対価を支払っているわけではない。プロ野球球団は、企業としてみれば、ショービジネスに類したサービス業に属する。報道でとりあげられる情報は、プロ野球球団にとってはいわば無料の広告宣伝になるのではあろうし、間接的には球場への来場者を増やすことにつながってもいるのだろうが、同時に貴重な経営資源を無料で他社に提供しているともいえる。

少なくとも、球団全体として「入り」と「出」のバランスがとれていないのは事実だ。プロ野球球団の収支構造をよく知らないが、球団維持のコスト水準が適切なものであるとすれば、人々はプロ野球というサービスを消費しながら、そのサービスを維持するために必要なコストを充分には負担していないということになる。

この状況は、環境経済学などでおなじみの「共有地の悲劇」を思い起こさせる。集団が共同で使う土地などの公共財は、そこから得られるメリットは個々の利用者が独占できるのに対し、その維持に必要なコストは皆で分担するから個々の負担が小さくてすむため、結果として過剰に消費・収奪されてしまう、という状況である。プロ野球も、そこからファン個人々々が得る満足に対して充分なコスト負担が行われていない、と考えれば、「共有地の悲劇」によく似た状況であると考えることができる。プロ野球は日本人にとって深くなじんでおり、球団の地元においては地域への求心力を象徴する存在となるなど、社会的関心も高い。プロ野球は「公共財」だと考えれば、現在の状況はいわば当然なのかもしれない。

「共有地の悲劇」はいわゆる「市場の失敗」の一種であるから、その解決にはなんらかのかたちでの政府の介入が必要となるのが通常の考え方だ。それは政府による補助のような直接的なものであるかもしれないし、二酸化炭素排出権取引市場のように、外部経済を内部化するしくみ作りによるものかもしれない。この路線で考えた場合、プロ野球球団はどうだろうか。地方自治体が地元活性化のために球団を直接的に支援したり球団を保有したりすることは、多くの自治体の経営状況からみて難しいだろうし適切でもなかろう。とすると、なんらかのかたちで「受益者」であるファンが適切な負担をするかたちを考えることも、1つの選択肢として検討すべきではないだろうか。選手の年俸も、受益者たるファン達が負担するとなれば、どこまでも高騰することにはならないだろう。

一部の球団のオーナー企業にとって、球団はそのメリットを上回るコストのかかるものになってきている。企業が球団を持つことは、いってみれば、球団とファンの間にそれらオーナー企業が介在して需給の調整を行っていることを意味する。この調整機能がうまくいかないのだとすれば、これを廃して球団とファンとが直接つながるかたちを模索してもよいのかもしれない。

|

« 会計士は(少しは)変わった。今度は監査役 | Main | プロ野球を考える ②経営学的にみた球団合併問題 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference プロ野球を考える ①「公共財」としてのプロ野球:

» プロ野球最強のコンテンツ「ナベツネ」 [週刊!木村剛]
 皆さん、こんにちは。木村剛です。7月12日のゴーログ「近鉄vsライブドア:『感 [Read More]

Tracked on July 19, 2004 11:08 AM

« 会計士は(少しは)変わった。今度は監査役 | Main | プロ野球を考える ②経営学的にみた球団合併問題 »