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June 16, 2004

プロ野球を考える ③職業としてのプロ野球選手

「プロ野球を考える」シリーズの第3弾は、球団経営の重荷となっているらしいプロ野球選手の高給について考えたい。一般にプロ野球選手というと、破格の高給をとる選手が話題になるが、どうもプロ野球選手全体を考えると、当然ながらそれほど高給の選手ばかりではない。インターネット検索で最初にヒットした1999年のデータでみると、プロ野球選手(外人選手を除く)の平均年俸は3,218万円、一軍選手の平均で5,654万円だそうだ。全体平均をみる限り、一般サラリーマンの数倍程度といったところか。

ただし平均値は、高額報酬の一部選手に引っ張られている側面がある。メディアン(中間値)は1,300万円であり、平均の3,218万円を下回る選手が7割を占めるそうだ。1,000万円未満は全体の36.5%、500万円未満も8.1%いるという。

プロ野球選手という職業は、就労可能期間が短く(一軍選手の平均選手寿命は約10年だそうだ)、その後の職業の保証はない。プロ野球選手用の年金制度もあるそうだが、60歳以降しか支給されないので、それまでどうやって食いつなぐかが多くの元選手たちにとって大きな問題となっているらしい。生涯所得で比べれば、大半は一般のサラリーマンと同等か、下手をすればそれを下回るかもしれない。

もしそうだとすれば、プロ野球選手という職業は、きわめてハイリスクであるにもかかわらず、それに見合った水準の収入を得ていないということになるかもしれない。好きでやっているのだからしかたがない、ということに通常はなるのだろう。このような状況は、多くの専門的職業に共通している。ほとんどのプロスポーツ選手のほか、音楽家、画家、俳優、作家、アニメーターなど、例を挙げれば枚挙に暇がない。これらの職業は、特殊な才能を要するだけでなく、習熟するまでにかなりの期間、努力を要し、他の職業への転職可能性も低い。また就労可能期間が短いものも少なくなく、平均的にみれば生涯所得は低くなりがちだ。

むろん、だからといって、プロ野球選手の所得保証のために公的扶助を行うべきだといった短絡的な議論はできない。もし公的に支援するのであれば、音楽家などの場合と同様、それが社会にとって適切なのかどうかを議論する必要がある。ある職業から得られる賃金は、そのサービスに対する需要と、そのために必要な機会費用のバランスによって決まるべきだろうが、機会費用の算出にあたっては、供給側にとっての条件、特に職業に伴うリスクも勘案すべきと考える。賃金にもリスクプレミアムを、というわけである。

プロ野球選手の給与水準が高いか安いかについては実はよくわからない。球団の経営はどこも厳しいようであるから、その意味では高すぎる、との見方が出るのもわかる。しかし、選手の側からみて、リスクにふさわしい年俸をもらってはいないという主張があるとすれば、それにも一理あるように思う。

自分がなぜそのように思うかを考えてみると、少なくとも一部のサラリーマンが、プロ野球選手のおかれた状況に対比して、習熟の必要性やリスクが低いにもかかわらず高い給与が支払われているのではないかと思っていることに気づいた。つまり、プロ野球の問題を考えていると思っていたら、どうも比較対象にしているサラリーマンの給与のほうがおかしいのではないか、と思い至ったわけだ。

ここで「不当に高い」と思っているのは、どの業界かはあえてふれないが、業界に対する保護などから、労働力への需要が人為的に曲げられていたり、収益力を高く保たれたりしている場合をさす。職業間の移動はそれほど流動的とはいいがたいので調整は難しいだろうが、プロ野球選手との比較で考えると、何か不公平な感じがしてならない。

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