方法の問題ではない:「デブの国」より
昨日までアメリカにいた(いまカナダでこれを書いているが、状況は似たり寄ったりのようだ)。来るたびに思うのだが、この国を一言で表現するとすれば、私はまず「デブの国」と呼びたい(差別的表現を意図したものではない。一言で表現する際に「肥満者」よりも語呂がいいという理由からこちらを使った。全文をお読みいただければ意図がおわかりいただけるものと信じるが、気を悪くされた方がいたとすれば申し訳なく思う。以下では「肥満者」で統一するのでご勘弁願いたい)。
アメリカに行ったことのある方はおわかりだろうが、道を歩いていても、地下鉄に乗っても、店に入っても、肥満者はそこらじゅうにいる。しかも、日本で「肥満者」と呼ばれる類の方々とは比べものにならないくらいの肥満ぶりである。力士レベルといってよいのではないか。CNNニュースでは、アメリカ人のうち大人の31%、子供の17%が「深刻な肥満」に陥っていると報じていた。「アメリカにとって最大の問題は中東情勢でも経済成長でもなく、肥満だ」と評する専門家も少なくない。
そうした状況を反映してか、ダイエット関係の情報も目につく。ダイエット用の食品や飲料、スポーツクラブやその他の運動、医薬品、外科的療法、その他もろもろ。ダイエット産業はまさに花盛りだ。あらゆるメディアにおいても、ダイエットは主要なトピックの1つだ。どこかにダイエットのいい方法はないか、というわけだろう。
しかし、どう考えても、アメリカ人にとってのダイエットは方法の問題ではない。それは「量」の問題だ。レストランでどんな料理を頼んでも、これでもかと思うほどの量があって、皿からはみ出し、山のように盛り上がっている。どんな料理にもついてまわる、ポテト、ポテト、そしてまたポテト。サラダですら、大皿料理店を思い出させる大きさで、食べきれるか不安になる。レストランで料理を残している人はあまり見かけないから、一般的なアメリカ人は、家でもこのくらいの量を食べているのだろう。
これだけ食べていれば、太るのは当たり前だ。もちろん、日本人とは体格もちがうし、食べる量がちがうのはわかる。しかしあれだけ肥満者がいるということは、アメリカ人たちにとっても多すぎるということではないのか。基本的に自分には関係ない話ではあるが、ダイエット関係の広告を見かけるたびに「まず食べる量を減らせよ」と突っ込みたくなるのだ。
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Comments
こんにちは
アメリカなどは本当に人間のかけ離れた姿になりきってしまっているように感じてとても怖いのですが、
肥満に関していうと、日本人はアメリカ人ほど太りたくても、肝臓にある酵素とかなんとかの関係で太る前に糖尿病になってしまうので、一生懸命食べたらあそこまで太れるってものではないでようです。
アルコールも弱いのでアル中になる前に肝臓壊すらしいです。そんな体質の違いがあるようですが、アル中や肥満になれるほど強い臓器を持つのも善し悪しなのだなと思いました。
Posted by: Hiroette | June 18, 2004 10:57 PM
Hiroetteさん、コメントありがとうございます。
なるほど、アメリカ人の肥満にはそういう事情もあったわけですね。日本人は太りたくても太れないと。書きながら、アメリカ人は太っていても街に出られるだけ幸せなのかも、とも考えました。日本だと、街に出にくい雰囲気があるかもしれませんね。
ただ、それにしても、やはり「なぜそこまで太らなければならなかったのか」という疑問は残ります。アメリカ人の大半は、民族的にいえばヨーロッパ系だったりアフリカ系だったりヒスパニック系だったりアジア系だったりするのでしょうが、そのいずれの地域でも、アメリカにおけるほど肥満は目立たないように思います。第一義的には食べる「量」の問題だと思うのですが、どうでしょうか。
ちなみに、肥満については本記事の直後に関連した書籍の感想を書きましたので、併せご覧いただければ(http://hyamaguti.cocolog-nifty.com/hyamaguchi/2004/06/the_obesity_myt.html#more)。
Posted by: 山口 浩 | June 19, 2004 12:40 PM
肥満書籍の感想を読ませていただきました。とてつもなく高いデブの壁に絶望的な笑いを禁じ得ませんでした(笑)。
私はアメリカに存在する多くのものがいわゆる資本主義を興隆させるために行われていて、自然の流れに反しているとか、環境とか、人間本来の姿とかは完全にプライオリティが低く設定されているからではないかなーなんて思ってしまいます。で、資本主義の興隆とは端的に言えば消費活動を増やすと言うことです。
食に関して言えばプレートにたくさん盛れば盛るほど価格も上がって売り上げも上がって当社の利益が増す、とか。それで太った結果スポーツジム、ダイエット食品が開発されそれが売れればまた経済活動が盛んになるとでも思っているのではないでしょうか。この博士の理論もそんなアメリカの考えにそれほど反するものでもないような感じがします。要は消費が減らずに肥満が減ることを考えられればこの著者は大満足なのではないでしょうか。
日本の市場を見ていても思いますが、そんなに必要でもないものまで一生懸命商品開発されてCMを打たれて売られているように思います。アメリカはその最たるものではないかなーと思います。
アメリカに一度も行ったことがないのにこんな事を書くのもなんなのですが。
しかも、山口さんの経歴を拝見しましたら経営学の専門家とのこと。そんな方にこんな事を書くのも釈迦に説法かも知れず、恐縮なのですが、市民感覚として感じることを書いてみました。
Posted by: Hiroette | June 20, 2004 08:12 PM
アメリカ的な考え方への違和感、よくわかります。「そうそう!」とひざをぱしぱし叩きたい感じです。ただ同時に、アメリカ人のあり方は、ある意味で人間の本性に他国より強く根ざしているのかも、と思うこともあります。
飢餓への備えとして脂肪を蓄積してしまったり、早食いすると「満腹」という脳の信号が遅れるためにたくさん食べられたりするしくみは、明らかに動物としての人間の性質です。
アメリカにおいて極端な状況がみられるのは、そうした欲望に対しての「人間の叡智」としてのタブー感があまり働かないせいなのかもしれません。人間って実は文明発祥以来あまり進歩していないのではないでしょうか。それが私の「市民感覚」です。
Posted by: 山口 浩 | June 22, 2004 12:29 PM
解説ありがとうございました。
ほんとですね。
そうすると、他の地域に比べて、なぜアメリカでは人間の叡智のタブーが働かず人間の本性が強化されてしまうのかってことですね。
よっぽど西洋の考え方に沿って理性的に生きているような印象を持っていましたが、不思議ですね。
Posted by: Hiroette | June 23, 2004 11:31 AM
あえて言いきってしまうと、論理的に組み立てられた主張のたぐいの大半は、実は卑近な欲望やら好みやらに根ざしています。政治しかり、経済しかり、社会のあらゆるところに見られます。身近なニュースなどを見ても、思い当たるふしがありませんか?
アメリカという国は、このへんのところが極端にはっきりしているように思います。ですから実にわかりやすい。立派なお題目の裏に隠れている利権やら選挙やら事業機会やらの影がはっきり見えるでしょう?
肥満の問題なら、「食べたい。腹いっぱい食べたい。ダイエットは苦しいからやりたくない。肥満を非難する社会が悪い。ダイエットをあおりたてる企業が憎い」という気持ちが見事に透けて見えるように思うのです。
Posted by: 山口 浩 | June 23, 2004 12:31 PM