この10年:私的ITヒストリー
慶応大学とマイクロソフトが合同で開いたシンポジウム「デジタルコンテンツを彩る先端技術」の基調講演で、来日中のマイクロソフトCEO、Steve Ballmer氏の講演を聞いた。ここ最近10年のIT技術の急速な進歩を振り返り、今後の10年はもっと大きな変化が訪れるだろうとの論調であった。「10年前、だれが今のIT技術を想像しただろうか」というわけである。
確かにそうだ。このことをより実感をもって考えるために、やや記憶はおぼろげながら、個人的に10年前の状況を振り返ってみようと思う。
10年前というと、1994年だ。私はこの年、国内のビジネススクールに留学中だった。この学校のPC室はIBM互換機よりAppleが多く、学生たちは主にAppleを使っていた(Appleのバージョンには詳しくないのでよくわからない)。
自宅で使っていたのは93年に香港で買ったIBM互換機で、DOS/Vに日英双方のWindows3.1とMS-Officeを入れていたと思う。価格は覚えていないが、日本円で15万円~25万円あたりだったと思う。記憶が正しければCPUはインテルの80486、RAMは8MB、HDDは200MBだった。CD-ROMはまだ一般的とはいいがたかった。MOやらDVDやらは望むべくもない。まだ当時はDOSとWindowsは別ソフトであり、まずDOSで立ち上げた後、Windowsを立ち上げる。日本語環境から英語環境に切り替えるには、DOS/Vのswitchコマンドを使う。日本語環境で作った英語文書は、英語環境のPCとは共有できなかったのだ。この翌年の95年、ニューヨークで東芝製のノートを買うことになる。レーザープリンタは、個人で買うものではなかった。PCゲームをいくつか持っていたが、グラフィックを動かすものでは、WindowsではなくDOS上で動かすものが主流だった。Windows上では遅くなるからだ。
学校のネットワークでは電子メールが使えたが、個人ではまだメール環境はなかった。初めてパソコン通信(!)に入ったのは翌95年のことだった。モデムは外付けの3200bps。小さなものでさえ画像の伝送には忍耐がいった。学校のPCはもう少し早かったが、接続環境はよくわからない。ブラウザといえばMosaicかNetscapeだった気がする。パソコン通信は、メールのほか、テキストベースのBBSやらが主なものだったと思う。
携帯電話は持っていなかった。まだ持っているほうが少数派だった時代だ。資料をみると、94年4月に初めて携帯電話売り切り制がスタートしている。それまでは、例の大型筆箱サイズの端末をレンタルしていたのだ。土日や夜間に料金が安くなる「ドニーチョ」プランが出てきたのは、このころだっただろうか。あれが出る前は、携帯電話は個人が持つものではなかったといってもよい。i-modeは99年開始だから、このときはまだなかった。ショートメッセージは可能だったのではないかと思うが使ったことはない。つまり当時、携帯電話は忙しい人(または忙しいと思われたい人)が「話をする道具」であり、メールを見たり打ったりする道具では(少なくとも当時の多くの人々にとっては)なかった。
ふりかえってみると、今では当たり前になっている多くのものが、当時は当たり前ではなかったことにあらためて驚かされる。つまりこの10年間私たちの暮らしがいかに大きく変わったか、ということである。少なくとも一般の人々にとって、PCはまだコミュニケーションの道具ではなく、電話といえば線がつながっているものだった。PCと携帯電話、今では必需品に近いこの2つの通信手段がない暮らしを、当時の私たちは当たり前のようにしていたのだ。当時の自分に帰ることはむずかしいが、今の自分を想像できるかどうか、考えてみるとよい。
これを前提とすると、今後の10年に起きる変化は、現在見えている以上のものとなることは想像に難くない。荒唐無稽に思われることが、当然の事実になってくるのだろう。楽しみのような、ちょっとこわいような。
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