Blogの広まりとマスメディアのコモディティ化?
Blogが広がってくるにつれ、既存マスメディアへの批判が強まってきているような気がする。単に発言の場がふえてこれまで思っていたものが表に出やすくなったということか、あるいは私たちが代替的なメディアを手にして比較が可能になった、ということなのだろうか。どちらかわからないが、とにかく目につくようになってきた。
古くからあったのかもしれないが、最近「マスゴミ」という表現をよく見かける。ネットで検索したら、Yahoo!で14,292件、Googleで14,100件もヒットした。「ゴミ」というくらいで、いずれもマスコミへの痛烈な批判、あるいは罵倒といってもよい。あまりに強い表現は建設的な議論には適さないし、的外れな言いがかりもままあるが、そう言いたくなる気持ちが理解できないわけでもない。
もちろん今でも、事実を現場で取材して伝えるという「報道」の部分については、マスメディアに依存すべきところが多くある。たとえばスーダンの現状を知りたいと思っても、私たちが直接スーダンに行くわけにはいかない。それはマスメディアにやってもらわなければならないし、実際よくやっていると思う(「危険」な地域・場所の場合、外部のフリージャーナリストを雇うことが多いようだから、少し割り引かなければならないが)。しかし、その先の論説の部分になると、どうもわけの分からないものが増えてきて、評価をぐっと下げなければならなくなる。政治や経済など、社会にとって重要な論点ほどそれが目立つというのはいったいどういうことなのだろう。単に「重要な論点ほど関心も高いからアラがめだつ」といった問題ではない。むしろ重要な論点に関して、「売らんかな」的態度を前面に出したセンセーショナリズムに走ったり、意図的に一方的な議論を展開して世論を誘導しようとしているかのようにみえる、というのはうがった見方だろうか。
この点に関しては、最近の「週刊!木村剛」でもとりあげられていた。UFJグループの経営統合問題に関するマスコミの論調について、UFJが発表したかなり踏み込んだ内容のガバナンス改革案をマスコミがとりあげていないことを批判していた。私としては、いやしくも公的資金を受け取った銀行はこのくらいの改革は言われなくてもやってほしい、という気がするので、なぜ他の銀行は、と問うべきかと思うのだが、ともあれ、経営統合でどっちが勝った、規模で世界一だとかいったことよりはガバナンス改革のほうがずっと重要であるのは事実で、マスコミの視点は的外れであることが多いという点では完全に同意する。
つまり、マスメディアの機能を①事実を伝える、と②それをどう理解すべきかを伝える、の2つに分けるとすると、①の価値はまだあるが②についてはかなり疑問符がつく、という状況と理解した。②のほうは、マスメディアではなく、blogやその他でふれる「身近な目利き」のほうが信頼できる、ということだろうか。最近本blogでも「curated consumption」ということばをとりあげたが、この現象は、単に情報量が増えて処理しきれなくなったというだけでなく、このようなマスメディア不信とも関係があるような気がする。①で得られたネタは誰もが使える安価なものだから、いってみればコモディティだ。それを使って、付加価値の高い②の作業は他の人たちがやる、ということになると、今起きていることは、マスメディアがコモディティ化していくプロセス、ととらえることができるのかもしれない。
最後に、マスメディア関連で最近見つけた興味深いサイトを2つご紹介。
①「farester」
http://skywolf.cocolog-nifty.com/fareaster/
いろいろな話題をカバーするblogだが、マスメディア関連で面白い記事がいくつかあったので挙げておく。
②「thinking about media」
http://homepage2.nifty.com/htnk/
上記の「farester」で紹介されていたサイト。マスコミの内幕に関する「爆笑!四酔人」の座談会が面白い。
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