官と民:PFIの可能性について考えてみた
官と民との境界線をどこに引くべきかは、今かつてないほど重要な問題になってきている。これまでいくつもの公的機関が民営化され、あるいは民営化の方向で議論が進んでいる。かつてはNTTや日本たばこにJRなど。今動いているのは道路公団や郵政公社。国立大学も忘れちゃいけない。何が公的サービスとして提供されるべきかについて、今までの常識にとらわれずに考えるべきときなのだろう。
というわけで、ほんの少しだけ考えてみた。
最初に、公的サービスがなぜ必要かについて整理してみる。おおざっぱに考えると、公的サービスが必要とされるケースは、①公共財の提供と、②国民間・世代間の資源再配分、ぐらいに分類できるだろうか。①は警察や防衛など、皆がメリットを受けるがそのために直接コストを負担しないものについて、民間では供給が少なくなってしまうので政府が提供するというものだ。いわゆるインフラの中にはこの範疇に入るものが多い。②は、国民間・世代間の不公平(何が公平かについては議論の余地があるが、なんらか決めるわけだ)を是正するために政府がお金を集め、必要なところに使うというものだ。生活保護制度、地方交付税などは代表的な例だし、公的年金制度もそうだろう。
かつては、政府が行うべきとされる領域がもっと広かった。たとえば、電話や鉄道は国のインフラであり、全国あまねくサービスを提供しなければならないから、営利追求の民間企業では(だけでは)無理だ、だから公的機関がやるのだ、などと主張されていたわけだ。しかしその後社会は変化した。大きな変化の1つは社会・経済の発達だ。電話は民間企業の事業としても全国ネットワークを充分維持できる(NTTのネットワークに依存してはいるが)ようになった。もう1つの変化は国の財政の悪化だ。もともと公的サービスは利益を出すという思想がないから、どうしても効率が悪くなる。高度成長期には耐えられたこのような負担に、今の政府は耐えられなくなっているのだ。鉄道は地方を中心に廃止されたりした路線もたくさんあったが、公的サービスでは実現できなかった「より効率的なサービスへの指向」が根付き、かつてのような赤字垂れ流しではなくなっている。全体として、それまで公的機関でなければ提供できないとされてきた分野が、そうではなくなってくる傾向にあるといえる。
公的サービスの民営化に反対する論拠の多くは、①民営化すれば利益第一主義になって、国民にあまねくサービスがいきわたらなくなる、②民営化すると国民が負うべきリスクが増える、などといったものだ。①はJRが地方路線を廃止したことなどをイメージするのだろうか。このあたり、ちゃんとデータに基づいて計算しないとわからないことではあるが、別の可能性はないのだろうか、とよく思う。
今の考え方は、現状の全国一律の公的サービスを前提として、それを民営化するか、民間の参入を許すか、という選択問題になってしまっている。市場メカニズムに任せられる部分は任せて、それ以外の部分を政府が担当する、という方向性はないのだろうか。そのほうが全体として安くつく可能性はないのだろうか。
それでは政府が大赤字になる、というのが反論だろう。しかし、そもそも全国一律のサービスが必要だというのは、政府の政策目的であって、それは経済原則とは別のところから出ているはずだ(ネットワーク外部性のような、経済原則からみた一律ネットワークの有効性を論じる議論もあるが、それはひとまず措く)。もしそれが本当に絶対不可欠なら、コストにかかわらず維持すべきもののはずだ。そういうことのために税金をとっているのだ。もしそれが「必要なんだがコストによってサービス水準は変わっていい」たぐいのものなら、私たちはコストとメリットを比較して考えなければならない。A案とB案があって、コストはこれこれ、メリット・デメリットはこれこれ、さあどっちにするか?といった選択だ。そのためには、どんぶり勘定の一律サービスはなじまないことも多い。コストが全体の中に埋もれてわからなくなってしまうからだ。
不採算部分だけを公的機関が担うとしても、効率化を促す手法はありうる。たとえばPFIの手法もそうだ。経営(政府)と運営(民間企業)を分離し、運営する民間企業は与えられた契約条件の中で努力することで自社の利潤最大化をめざす。これにより、公的目的を達成しつつ効率化を果たすことが期待されるわけだ。不採算部門の維持のために巨大な公的サービスを維持して市場をゆがめる必要は、必ずしもないのではないかと思う。
PFIは、官と民の新たな線引きの手法だ。最近、公共施設の運営などに使われ始めているが、もっといろいろなところに使えるのではないかと思う。ちょっと大胆にいえば、たとえば警察だ。警察にもいろいろな部門があるが、たとえば駐車違反の取締りなどはどうだろう。公的機関でなければ絶対にできないだろうか?反則金の一部を請負会社の収入にするというのも一手だ。郵政公社にしたって、ある地域の郵便物の集配をPFIにするといったことも考えられる。民営化後の郵貯や簡保が民間とイコールフッティングになるなら、たとえばこの地域の郵貯は○○銀行が運営、などという発想だってあっていいと思う(公庫融資には今民間金融機関を使ったものがあったはずだ。それと似ていないか)。コンビニに銀行ATMと郵便ポストが共存する時代だ。もっと柔軟に考えていい。
とりあえずここまで考えた。考えるべきことはもっとたくさんあって、今後考えが変わっていくかもしれないが、まず、これまでの考え方、常識にはとらわれないようにする、というところから始めたい。
民営化によって国民が新たにリスクにさらされるのではないか、という点に関しては、別の機会に考えてみる。ぼんやりと思っているのは次のようなことだ。今行われている官から民へという改革の方向性は(着地点については議論もあろうが)、基本的には、国民を新たなリスクにさらすものというより、これまで隠してきたリスクを表に出し、誰がどう負担するかを議論しようというものだと思う。現在リスクはすでにあるが、どんぶり勘定や制度面での問題から、国民の目に見えにくくなっている。まず必要なのは、その構図を明らかにすることだ。
今日はとりあえずここまで。
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Comments
TBありがとうございます。
PFIの手法はいろいろあるし、採算性の合わない地域の集配については補助金のようなものをだすという手もあるだろうし、やりようはいろいろあるんでしょうね。
民営化がいいのか、するとしたらどういうやり方がいいのか、政治的な決着ではなく、将来的にももっとも妥当なやり方を選択してほしいですね。
今日(8/28)の読売に「諮問会議激論」という記事が載っていましたが、組合員対策という1要素を理由に民営化議論を先延ばしにしようというのはそもそも問題外ですね。
Posted by: beer | August 28, 2004 09:25 PM