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August 17, 2004

靖国問題:またそんなことを

政治家の靖国神社参拝問題は、また例年のどたばたを繰り返している。小泉首相が今年も参拝するといえば周辺国が騒ぎ、石原都知事が参拝すればまた記者がつきまとっておなじみの質問を繰り返す。今年は「天皇陛下も参拝を」と言ったらしい(記事参照)。

その種の議論を期待した方には申し訳ないが、ここでは、いわゆる「靖国論争」そのものには立ち入らない。意見はもちろんあるが、ここで議論したいのはそのことではなく、この問題に関するマスコミの取り上げ方だ。

記事によれば、記者が石原都知事に対して「自身の参拝が公人としてか私人としてか」という質問をし、それに対して石原都知事は「都知事でもある石原が、ということ。人間はいろんな面を持っている」と答えたらしい。

他の政治家にも問いかけられるこの質問だ。この通りの質問だったのかどうかはわからないが、もしそうだとすると、これはいったい何を聞きたいのだろうか。

この質問が問うているのは、参拝した政治家の意識、心の中身だ。あなたは心の中で公人という意識で参拝しているのか私人という意識で参拝しているのか、という質問だと理解した。しかし、心の中で何を思うかは、憲法第19条(思想信条の自由)で守られているのではないのか。首相だろうと都知事だろうと、何を頭の中で考えるかについて自由がないなんてことはありえない。こんなことを聞いて何の意味があるのか。上記の石原都知事の回答はその意味で当を得ている。

記憶が正しければ、この質問は、かつて「私人として参拝する」といった政治家がいたため、その後の政治家に必ず聞かれてきたものだったと思う。政治家の側も慣れっこになっていて、突っ込まれにくいコメントの仕方を学んでいる。この質問をした記者は、石原都知事がこうした「煙に巻く」回答をしてくることを予想できたはずだ(毎年やってるんだから)。こういう数十年あいも変わらず同じ質問を繰り返して、予定調和的なコメントをとって適当に記事を仕立てようという考え方はあまりにも安直とはいえないか。あるいは「挑発的」なコメントを期待したのか。売上狙いのセンセーショナリズムのネタにしようという発想なら、なおさらたちが悪い。

問うべきものがあるとすれば、それは「参拝が職務として行われたかどうか」、であるはずだ。そしてそれは、そのために公金が支出されたかどうか、参拝のために休暇届(そういうものがあるのか知らないが)を出したかどうかといった、外形から判断できるものでなければならない。もし都知事に聞かなくとも都庁に電話すればわかるなら、わざわざ靖国神社まで行って聞く必要もない。まずはそういう事実を確認しきちんと報道してはじめて、憲法第20条の政教分離条項に照らして内閣総理大臣なり東京都知事なりが職務として靖国神社を参拝することが是か非かを国民の間で議論できるのではないか。

国民的議論が必要なときだ。
頼むからミスリードするのはやめてもらいたい。

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