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August 04, 2004

合併交渉はおおっぴらに

UFJホールディングスをめぐる、三菱東京フィナンシャルグループ三井住友フィナンシャルグループのつな引きについて、2004年8月3日付朝日新聞夕刊のコラム「経済気象台」は、事態の進展に金融当局の関与の形跡がみられないことに対して、「背筋がいささか寒くなる」と批判している。

合併交渉は密やかに」と題したこのコラムで、著者は、次のように述べている。

「金融当局は事後規制という建前か、表向きは静観している。しかしこれだけの大合併について、まったくのノータッチはありえないし、またそうであってはならない。預金通貨という、一国の決済機能の大きなシェアを委ねられている大銀行間の再編なのだ。」
「しかし、当事者が金融当局の了解の下に合併の条件について密やかに合意し、形式的な手続きを残すばかりの段階で発表してきた、従来のような手順になっていない。金融当局はさじを投げたのだろうか。」

金融行政がいわゆる護送船団方式から決別したといわれてもうかなりたつ。今はあいまいな基準に基づく事前のきめ細かな行政指導ではなく、客観的な基準に基づく事後規制が金融行政の原則となった、と理解されている。官僚の方とお話をする機会に聞いてみても同じようなことをおっしゃるし、実際、金融機関の側でもかつてのようなMOF担はもういないと聞いている。ひょっとしたらこれは表向きだけで、裏ではある昔と同様の行政の関与が行われているのかもしれないが、少なくとも現在、金融庁は弱者(弱い金融機関)救済をその行動指針とはしていないと思う。

この著者にとっては、このような状態は望ましくないようだ。「そうであってはならない」と言い切っているのだから。しかし本当にそうであってはならないのだろうか。「決済機能」にふれているが、決済機能の保護についてはすでに法制面での整備がなされ、りそなの例ですでにその効果が実証されている。UFJが三菱東京と統合しようが三井住友と統合しようが、あるいはいずれとも統合できずに国有化されたり、外資の資金を受け入れたりすることになったとしても、決済機能には影響がないようになっているはずだ。あたかも経営統合交渉が滞れば日本経済の動脈たる大銀行間の決済システムが破綻してしまうかのような議論は、正直にいって脅しめいた印象を禁じえない。

この著者は、今回の問題のどこに問題意識を感じているのだろう。UFJがどちらとも統合できずに公的資金申請に至ったりする状況がこわいのだろうか。どこと経営統合するにせよ、資産査定の抜本的な見直しは避けられないし、いわゆるリストラもあるだろう。やらなければならないことは、今回の問題がどう決着しようと、そうは変わらないはずだ。ならば何を恐れているのか、いくら考えてもよくわからない。また、100歩譲って行政の関与が必要であるとの議論に賛成したとしても、いったい金融庁にどんな関与を期待するのだろう。金融庁が守るべきは、国家のインフラである決済システムや国民の財産たる預金(預金保険制度の範囲内で)であり、金融機関の経営形態維持でもなければ役職員の地位保全でもない。著者は金融庁に「まあまあたいがいのところで許してやれや」と住友信託を説得してもらいたいのだろうか。「住信がかわいそうだからあきらめてくれや」と三菱東京に諭してほしいのだろうか。

冗談ではない。経営統合の行く末やその際の条件は、それぞれの株主の私有財産たる株式の価値に直接影響するのだ。行政に手をつっこまれていいはずがないではないか。本来官僚に責任のとれる(とるべき)問題ではない。その当たり前のことを当たり前にするために、金融庁は旧大蔵省から分離され、業界に対して過去と一線を画した対応をとってきたはずだ。今さら「金融当局はさじを投げたのだろうか」といわれても困るだろう。「いったいどうして欲しいのさ」と聞き返すか、「ええ、そうなんです」と開き直るか。おそらく正解は、「行政の出るべき局面ではない」といったところだろう。

私は、今回の「UFJ騒動」は、きっかけはともあれ、各社がそれぞれの利益のために行動していることが外部からはっきりみえるという意味で、かつての密室行政の下での金融再編よりはるかに好ましいと考える。確かに合併交渉は密やかに行うのが一般的な慣行だが、それは金融当局の了解の有無とは関係なく、交渉の事実自体が株価に影響を与え、インサイダー取引などを誘発しかねないからだ。今や問題が明るみに出たのだから、今後の対処はおおっぴらにやればよいのではないか。当局の関与がよりよい結果につながる保証などない。もちろん当事者同士の交渉が必ずベストの結果につながるとも限らないが、少なくとも意思決定者と利害の帰属先は一致している。「落とし前」をつけられるのだ。行政当局はそうではない。

裁判になることを不祥事のようにとらえるのはいかがなものか。国民に許された権利なのだから、堂々と訴えればいいし、堂々と応じればいい。どういう結果になるかはわからないが、いずれにしても、株主の財産に関する重要な問題だ。そもそもUFJの交渉のやり方にはまずい点があったのかもしれないが、過去は変えられない。現状を前提として、それぞれの会社が、それぞれの株主の、あるいは顧客の利益のために最善を尽くしていくしかない。裁判の結果は、法に基づいて裁判官が決定する。それ以前に和解となる可能性も高いだろうが、それは民間企業の経営上の意思決定であって、法令に違反しない限り、そのプロセスに行政が関与すべきではない。

上記が私の誤解ならいいのだが、もしそうでないとすると、官僚に桃太郎侍(というか、こういう場合は大岡越前か、三方一両損てわけね)を期待する考え方がまだ残っていること自体に、「背筋がいささか寒くなる」。

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Comments

全く同感です。このコラムは変な意見ですね。もっとオープンにすべき話ですよね。最近は政府、官僚が絡んでろくな話にならない。官庁が絡んでも国民の金を無駄遣いするばかりになる。もっと小さい政府・官庁になって、無駄金を使わないで欲しい。

最近はマスコミが変ですね。昔から変なのが、インターネットなどで多くの情報が流れるようになったので、変なのがバレ始めたのかな?

Posted by: maida01 | August 06, 2004 11:28 PM

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