「プラシーボ」としてのメダル
遅れてきたオリンピック特集その2。
ゴールドマン・サックス証券は、過去のオリンピックでの獲得メダル数と実質国内総生産(GDP)伸び率との関係を統計的に調べた独自の「成長予測」をまとめた (こちら)。それによると、アテネ大会のメダル獲得数が22(金8、銀8、銅6)は成長率3.1%に相当する。 獲得数が26個(金13、銀8、銅5)の場合は4.6%、33個(金20、銀8、銅5)になるとバブル経済以来の6.4%の伸びが期待できるという。
このニュースが出たのは8月22日で、まだ結果は出ていなかった。日本のメダル獲得数は結局37個(金16、銀9、銅12)に及んだ。このモデルにあてはめるとどのくらいの「成長率」がはじき出されるのか、興味あるところだ。ひょっとしたら7%を超えるかもしれない…
…もちろん、これは冗談だ。まじめに説明するのも気がひけるが、これは統計の使い方としてはまちがっている。本来関係のないものが統計的に関係あるかのように見えることはよくある。こうした「見かけの相関」にだまされると、とんでもないものを結びつけたりする。惑星直列の起こる年は天変地異が起きる、みたいなものだ。メダル獲得数もこの一例だ。むろんゴールドマンサックスも承知の上でやっているわけだから、最終メダル獲得数で予測をアップデートしたりはしないだろう。それは「野暮」というものだ。
オリンピックの経済効果ということでいえば、関連消費の拡大という要素は確かにある。電通消費者研究センターは、今回のメダルラッシュで、経済効果は1兆円に及ぶと試算している(こちら)。高画質の薄型テレビ、観戦時に欠かせないビール、選手に関連づけたスポーツ用品などが例として挙げられている。他にも波及効果はいろいろあるだろう。電通ということでいえば、高視聴率をとったテレビ番組の広告枠などもさぞ大きなビジネスだったにちがいない。
とはいえ、メダルが直接経済に効果をもたらすという可能性を無視するのももったいない気がする。かつて日本が多くのメダルを獲得していたのは、高度成長期だった。だから「見かけの相関」が生まれたわけだが、あの当時日本は「元気」だった。世界の強豪が集うオリンピックの場で堂々と活躍している選手たちを見て、日本人は「よし自分も」と勇気づけられたものだ。このようなことが、今の日本にも必要ではないかと思う。「不景気だから」と必要以上に萎縮し、「放っておくと欧米のハゲタカにむしられる」とおびえ、「政府なんとかしろ」と叫ぶ今の日本人の目に、個人の力で世界の有力選手に立ち向かった日本人選手の姿を焼き付けることは大きな価値がある(もちろん多くの選手に対しては国や企業がサポートをしているわけだが、試合の場では自分の力だけが頼りだ)。
もちろん選手が活躍したからといって自分の力が増すわけでもない。それでも「がんばれば、ひょっとしたらできるかも」ということを意識するのは悪くない。「プラシーボ効果」ということばを連想する。プラシーボ(偽薬)をそれと知らされずに飲むと、効いた気になって本当に症状が緩和してしまう効果だ。日本人選手のメダル獲得は、日本と日本人にとっての「プラシーボ」なのかもしれない。いやむしろ、そうなってくれるとよいと思う。
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Comments
やまぐちさん、こんばんわ、
やはり統計の難しさですよね。やっぱり、統計でできるのはどちらかというと「記述」であると感じます。AとBの相関係数はあくまで現象としてみたときいっしょに想起する可能性が高いというだけであって、A→B、B→A、X→A同時にX→Bなど複数の関係が考えられるのだと理解しております。
そこで、やまぐちさんにぜひお聞きしたかったことがあります。ほかでもない例のべき乗法則ですが、これもどちらかというとなにかの分布の統計処理結果だと感じております。それも正規分布ではないが、広く色々な事象にみられるある種の分布だろうと...一体これはどういう分布なのだろうか、シュミレーション可能なのかというのが、Xという要素は存在するのか、そういったところがぜひ明確にしたいところです。
Posted by: ひでき | September 01, 2004 09:01 PM