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September 27, 2004

金で買える平和

9月24日付のFinancial Times紙に、世界銀行のJ. Wolfensohn総裁のインタビューが掲載されていた。今週末からワシントンDCで開かれるIMF・世銀総会に関連して、テロ対策や、イラク・アフガニスタン等の情勢といった懸念材料のため、先進国の開発援助に対する姿勢が後退している、と警告している。

ここでWolfensohn総裁が特に注目しているのは、アフリカだ。貧困やエイズをはじめ、山積する問題への対策が遅々として進まない。最近事態が深刻化しているスーダンでは、5万人以上もの大量虐殺が起き、国連が制裁警告決議を採択した。民兵による襲撃で150万人が難民となり、難民キャンプでただ食料を待つだけという悲惨な状況に陥っている。

数年前まで、先進国の開発援助政策は、貧困削減を促進するために各国が力を合わせようという方向で進んでいた。いわゆるミレニアム開発目標というやつだ。お題目だけでなく、18の目標項目について48項目もの数値目標を設けて具体的な成果を求めるという実務的な性格を持っている。目標達成のために、援助各国が政策協調(援助協調という)を行う流れであった。

ところが、2001年9月11日の同時多発テロ以来、先進国の関心は防衛一色に染まってしまった。もちろんミレニアム開発目標自体は変わっていないが、その達成に向けての各国の熱心さは一変した。当面の安全確保に関心が集中してしまい、途上国の長期的発展や、それによる世界全体の長期的な繁栄といった視点がすっぽり抜けてしまったということらしい。Wolfensohn総裁は、現在世界全体で使われている防衛費が9,000億米ドルにものぼり、開発援助に使われる費用の15ないし20倍に相当すると嘆いている。その一部でも援助に回せれば、というところだろう。

防衛費の増額は、安全を金で買おうというのが意図だ。冷戦時代とちがい、先進各国にとっての「敵」は国家よりもテロリスト集団である。「戦場」は海外とは限らない。守るだけではだめだ。テロリストの温床となる国や地域に派兵し、テロリストを先制して叩く。テロリストと交渉はしない。弱気とみられたらつけこまれる。これが現在のやり方だ。

しかし現実はそううまくいかない。テロリストをいくら捕らえても殺しても、次から次へとテロリストがあらわれる。むしろ、テロリストを叩こうとすればするほど、その地域に住む一般市民を巻き添えにし、憎しみの連鎖を生む。もともと異教徒の兵の駐留に対する反感の強い土地だ。そのうえ石油などの利権も握られるとあっては、憎まれても不思議はない、といってはいいすぎだろうか。

newsgaming.com」というサイトがある。ゲーム研究者としてその筋には有名なコペンハーゲンIT大学Center for Computer Games Research研究員のGonzalo Frasca氏が運営する「Ludology.org」の一部だ。ここにある「September 12th」というゲームをやってみてほしい(Shockwaveが必要)。内容は詳しくは書かないが、彼が提唱する「serious game」という新しいジャンルのゲームだ。アメリカ流の「テロとの戦い」が何をもたらすか、笑えないゲームが教えてくれる。

ここで考えてみよう。なぜテロリストは途上国に多いのか。なぜ大量虐殺やら内戦やらは途上国で起きるのか。人の命は、先進国よりも途上国で、軽く扱われる。アメリカで5千人が死んだテロは、スーダンで起きた5万人の虐殺よりもはるかに大きく世界を揺るがした。「守るべきもの」の「価値」が低いから、簡単に人を殺せるのではないか。貧しいがゆえに死を恐れないのではないか。

だとすれば、とるべき対策は大規模な武力行使によるテロ制圧ではない。テロの温床となっている国や地域の人々に現世の利益を享受できるようにし、「命が惜しい」「テロなどばかばかしい」と思ってもらうことではないか。武力行使がまったく無意味だというものではないが、憎しみの連鎖が、排除した以上の数のテロリストを生み出している、というのが現状だ。これでは平和の構築という意味でも効果がないと思う。

大胆に言い切ってしまうと、平和は金で買える。少なくともある程度は。ただしそれは大規模武力行使によってではない。現世に絶望している人々に、現世のよさをわかってもらうことによってだ。防衛費の一部でも開発援助に回したらという考え方は、もっとまじめに検討されてもいいと思う。両者の目的はかなりの部分共通している。イラクやアフガニスタンでも、市民生活を安定させれば、それを乱すテロへの反感は強まるだろう。大規模な掃討作戦や治安維持活動よりよほど安くすむはずだ。そうすれば、アフリカ諸国への援助に回せる資金も増えてくる。これら諸国の経済が発展すれば、アフリカ地域での民族紛争やら内戦やらも少しは軽くなるだろう。

平和を金で買おう。誇りをもって。それが日本らしいやり方ではないか。

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Comments

やまぐちさん、おはようございます、

非常に腑に落ちるところがあります。やはり、防衛費にお金を使うより「国づくり」にお金を使うべきなのではないだろうか、と。しばらく前に書いた世間的には不評のようなフランシス・フクヤマの「State Building」の記事をトラックバックさせていただきましたが、だんだんと「国づくり」こそが国際紛争を回避する手段だという認識を持つ人が出てきているように感じます。また、この分野では日本は「敗戦を抱きしめる」経験をもった占領をその先の発展に生かせたかず少ない国かと思います。皮肉な意味でなく、日本こそ実はこの分野で力を発揮すべき国なのかもしれません。

Posted by: ひでき | September 28, 2004 09:02 AM

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Tracked on September 28, 2004 09:07 AM

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