「シリアス・ゲーム」の時代
Yahoo!の国語辞書「大辞泉」で「ゲーム」ということばの意味を調べると、次のような説明が出てくる。
ゲーム 【game】
1 遊びごと。遊戯。「―コーナー」
2 競技。試合。勝負。「白熱した―」
3 テニスで、セットを構成する一試合。「先に二―とったほうが勝ち」
4 「ゲームセット」の略。
当然だが、最初に出てくるのは「遊び」だ。この意味からすると矛盾めいているが、「シリアス・ゲーム(serious game)」というジャンルのゲームが注目されている。
「シリアス・ゲーム」、つまり、まじめな目的のゲーム、ということだ。遊びが目的というわけではなく、何か他の目的のためにゲームを用いる、というものだ。最近、ゲーム関係者だけでなく、さまざまな分野から関心を呼ぶようになった。アメリカには「Serious Games Initiative」というサイトがある。日本では「Serious Games Japan」というサイトがある。
ひとくちに「シリアス・ゲーム」といっても、目的はいくつかある。教育・訓練、シミュレーション、政治・啓蒙、研究などだ。その市場規模については、上記のサイトに「シリアス・ゲームの市場規模」というページがある。アメリカのサイトの翻訳なのでアメリカの話だし、2001年と少し古めのものだが、単純に数字を合計すると1,300億ドルを超える。数字の部分だけ引用しておく。
米国の教科書市場:30億ドル
企業教育市場:660億ドル
政府系教育市場:400億ドル
IBMの教育予算:700万ドル
米陸軍トレーニング予算:70億ドル以上
イーラーニング市場:100億ドル以上
政府系シミュレーション市場:30億ドル
リープフロッグ売上:680万ドル
財団による出資額:20億ドル以上
ビジネス分析市場:50億ドル以上
教育やトレーニング関連は自然に連想できるだろう。学校教育などで、ゲーム仕立てのプログラムをとりいれることはよくある。PCでもよくタイピング練習ソフトなどがあるが、あれもゲームのようになっているものが多い。面白くない勉強を楽しくやるために、ゲーム的要素が有効ということなのだろう。
米陸軍が軍事分野でのゲームの利用に強い関心をもっていることも知られている。陸軍は数年前、軍での生活をシミュレートできるゲームを開発し、そのリアルさから大ヒットとなったが、ゲーム操作能力の高い者に兵士としての素質を見出しているらしい。また、オンラインゲーム会社There社に対し、総額350万ドルを拠出して、対テロリスト訓練用に数千人が同時に参加できる戦場シミュレーションの開発を依頼した。「There」では、物体の運動などの物理法則をかなりリアルにシミュレートできるようになっている。米軍が興味をもったのはそのためだ。
他に最近有名になったものとしては、ゲーム研究で有名なLudology.orgを運営者であるGonzalo Frasca氏のが作成した「newsgaming.com」がある。一種の啓蒙を目的としたものと考えていいだろう。この中の「September 12」は、先ほどの軍によるゲーム利用とはかなりちがったベクトルをもっている。また、政治面では、民主党がサポートしている「Activism: the Public Policy Game」などもある。
もちろん、「Iowa Electronic Markets」や「Hollywood Stock Exchange」、「NewsFutures」といった予測市場も、一種のシリアス・ゲームであると考えることができる。
そういえば、かつてフラーが行った「ワールド・ゲーム」も、ある意味で啓蒙的なゲームだった。今ならあれをオンラインベースで、それこそMMORPGとして構築することも技術的には可能だろう(2005年に愛知県で開かれる「愛・地球博」の市民パビリオンで「ワールド・ゲーム」をやるらしい。昔ふうにやるのだろうか。どうせならオンラインにして世界中から参加できるようにすれば面白いのに)。忘れてはならないのが、最近各所で注目を集めている「gumonji」だ。コミュニティエンジン㈱が展開する多人数参加型オンラインゲームだが、環境シミュレーションに基づいて、仮想空間内でさまざまな元素が物理法則にしたがって存在するなど、より自然の環境に近いしくみが作られている。「gumonji」は基本的にはエンタテインメントとして位置づけられているようだが、ひょっとするとむしろ教育的な目的、あるいは「ワールド・ゲーム」のオンライン版といった感じの啓蒙目的で売り込んだほうが受けがいいかもしれない。
映画はかつて「ただの娯楽」だった。もちろん今でも娯楽なのだが、同時に芸術、政治、啓蒙、教育など、さまざまな側面をもつようになった。今度はゲームの番だ。今はまだ、映画でいえば「ニッケルオデオン」ぐらいの時期にあたるのかもしれない。「シリアスなゲームなんて」と思う方は、かつて映画界に、たとえば小津や、フェリーニや、リーフェンシュタールや、ムーアなどが登場したようなことが、ゲームの世界にも起きていくさまを見逃すことになるのではないか。
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