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October 25, 2004

再現芸術としての映画

再現芸術、非再現芸術、ということばがある。初めて友人からこのことばを聞いたのがごく最近だったぐらいで、芸術にはうといのだが、インターネットを検索したら、末継昌代さんの金沢美術工芸大学卒業論文「エチエンヌ・スーリオにおける芸術作品の存在分析」の要旨にこう書かれていたので引用する。

「再現的芸術とは模倣を最も本質的な手段としていて、現象や作品の本体そのものをもっている芸術のことである。一方、非再現芸術は現象に関する根拠、つまり“qualia sensibles”が直接組織されていて、抽象的とも音楽的とも主観的とも呼ばれる芸術のことである。(中略)再現芸術の作品は非再現芸術の要素を含むことになる。このように、非再現芸術と再現芸術は各々のqualia sensiblesに基づいて、相互に照応し合いながら(中略)対を造っている。」

読んでもよくわからないのだが、それはさておき、本論は映画についてだ。

上記の記述を思いきり素人向けに翻訳すると、芸術家の表現が模倣に向かうのが再現芸術で、独創に向かうのが非再現芸術、ということだろうか(専門家の方、ちがったらご指摘いただければ)。この分類で考えると、映画というのは、作り手のあり方としては本質的に非再現芸術なのだと解釈した。斬新な脚本、独創的なカメラワークなど、作り手の新たな工夫が新たな映像の世界を切り開く。

かと思っていたら、最近のエンターテインメント業界は、映画だけではないが、リメイクものが実に多い。もちろん、リメイクはずっと昔からあった。児玉数夫著「ハリウッド リメイク映画物語―Filmography since 1910」(研究社出版、1995年)では、1910年代~70年代ハリウッドで作られたリメイク映画(再映画化作品)を解説している。 「海外映画俳優マガジン」にも、リメイク映画をまとめた表がある。

最近でも、今度公開されるトム・ハンクス主演の「THE TERMINAL」は、1993年の映画「パリ空港の人々」に「インスパイア」されたものだそうだ。 1972年製作の「探偵スルース」(ローレンス・オリヴィエ、マイケル・ケインなど)も、リメイク(マイケル・ケイン、ジュード・ロウなど)されるし、「がんばれ!ベアーズ」もリメイクされるとか。

ヒットすれば続編が作られるのが当たり前となったハリウッドで、そのうえリメイクが増えてくれば、だんだんネタ不足になるのは必至だ。勢い他国のコンテンツに目が向く。日本発コンテンツへの注目が集まるのも、この流れの1つといえなくもない。日本映画の海外リメイクといえば、古くは「七人の侍」(「荒野の七人」)だが、最近は「Shall We Dance?」(「Shall We Dance?」)に続いて、今度は「呪怨」がハリウッド版が近く全米で公開される。ただし「呪怨」の場合はオリジナル版の清水崇監督がハリウッド版でもそのまま監督に起用されるという点で目新しい。そういえばホラーでは「リング」もリメイクされた(「ザ・リング」)。2005年には「頭文字D」の実写映画が公開されるほか、うわさでは、今後「ドラゴンボール」(スピルバーグかジョージルーカスによる監督とのうわさが!)や、「新世紀エヴァンゲリオン」の実写映画化も予定されているらしい。

もっとも、日本でも、リメイクは珍しいものではなくなっている。というより、リメイクだらけといってもいい。日本の場合は、リメイクといっても、マンガやテレビアニメなどをベースにしている場合が多いから、正確にはリメイクといわないのかもしれないが。最近でぱっと思い出すのは「デビルマン」(「デビルマン」)だが、そのほかざっと挙げるだけでも、「新造人間キャシャーン」(「CASSHERN」)、「キューティハニー」(「キューティハニー」)、「忍者ハットリくん」(「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」)など、いろいろある。「戦国自衛隊」のように、オリジナルが実写映画だったものものリメイク(2005年公開)もある。状況はテレビ番組も同じで、「エースをねらえ」、「奥様は魔女」、「鉄人28号」、「逃亡者」、「七人の侍」(「SAMURAI 7」)・・・、こちらもリメイクばかりだ。最近の流行で、アジア映画を日本でリメイクする動きもある。韓石圭(ハン・ソッキュ)、沈銀河(シム・ウナ)主演の韓国映画「8月のクリスマス」が日本でリメイクされるし、香港映画「つきせぬ想い」もリメイクが決まったようだ。

このように、映画においてリメイクが大きな部分を占めるようになってくると、これも再現芸術の一種といっていいものになりつつあるのではないか、というのがここでの主張だ。音楽においては昔からそうだった。クラシック音楽は典型的な再現芸術だ。しかし考えてみれば、クラシック音楽にしても、たとえば「アマデウス」にみるような、作曲家が自ら演奏していた時代には、非再現芸術としての要素が今よりも強かったのではなかったと思う。現代の音楽でも、アドリブが当たり前のジャズなどは、非再現芸術の要素が強いはずだ。

クラシック音楽も、昔は最先端だった。長い時間が経つうちに「古典」となり、時代の最先端とは異なる形式のものとなったわけだ。そのうち映画にも「クラシック映画」みたいなジャンルができるのだろうか。最先端の映画と異なった形式で、なんどもリメイクを繰り返しながら生き残っていくコンテンツになるのだろうか。

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