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October 06, 2004

人は見たいものを見る

CNET Japan上のblog「森祐治・情報経済を読み解く」に、「『信じたい心』を増幅するネットワーク」という記事があった。ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の成功に関連してよく引き合いに出される社会心理学者スタンレー・ミルグラムの「小さな世界」実験について、その実際の姿とは離れて、「人はすべての人と6人を介してつながることができる」という理解が一人歩きするようになってしまったことを例として紹介しながら、人が選択認知に陥りやすい、ということをわかりやすく説明している。選択認知とは、ひとことでいえば、「人は見たいものを見る」ということだ。

森さんの、「信じたい人々」にとってはあまりに「実も蓋もない」解説のエッセンスは、以下のくだりに集約している。少し長いが引用する。

 「僕らの心のメカニズムは長い時間をかけて形成されてきており、生きるため必要な手段を取り込んだ仕組みとなっている。自然の中では食べられるものを優先して発見し、それ以外のものは無視するといったことだ。そのため既知のものを優先して認識し、その結果見落としをしてしまうことは致し方ないということになっている。これを繰り返すことで、知っているものについての認知はより強化され、強化された認知によって世界観そのものが形成されていく。

 だが、結果的に形成された世界観は世界そのものではないため、時として矛盾が生じることが出てくる。しかしそんな綻びを繕うために、世界観の再構成などは行われない。むしろ矛盾を正当化するような既存の認知の仕組みを強引に当てはめて、納得感を得ることで問題解決したことにしようとする。

 もし世界観の延長上にあるべきものが見えないときには、既に知っているものの延長で、かつ自分にとって快適なものがあることにして幸福感を得ようとする。これらを拡大解釈とか選択認知と呼ぶことがある。要するに正しいかどうかよりも、自分の内部で齟齬が生じないように慣性が働くのだ。」

非常にまっとうな解説であり、説得力がある。心理学をかじった人なら「認知的不協和」ということばをご存知だろう。現状が、自分の「そうあってほしい」状態と異なっているとき、自分の現状に対する認識を変えるのではなく、「自分が認識する現状」自体を変えてしまうのだ。人は、財布をはたいてやっと食べられた料理がまずかったとき、「こんなに高い金を出したのにまずかった」と認識するのではなく、「こんなに高い金を出したのだからこの料理はうまいのだ」と考える傾向がある。それとよく似ているように思う。

さて、ここで考えたいのは、こうしてできあがった選択認知が、実体を動かしてしまう可能性についてだ。自然現象の場合は、ものごとはかなりの程度自然法則に従って動くので、私たちがどう認識しようと実体が変わることはない。茶碗を割ったとき、「割れた茶碗もいい」と思うのは勝手だが、割れた茶碗自体は元には戻らないし、茶碗として使うこともできない。しかし人間の行動に関する分野では、人間が「見たいものを見た」うえで行動するから、場合によっては、ちがった結果が生じうる。「見たかったものは実現されてしまう」ことがあるのだ。

いい例が血液型性格診断だ。至るところでみかけるが、海外ではまず見られない。日本人が考え、ほとんど日本国内だけで普及しているものだからだ。熱狂的な信者もいるので、詳しく知らないのに書くのは少々はばかられるが、その議論は本題からはずれるので、ここでは乱暴に断定してしまおう。血液型による性格のちがいがあるかどうかについてこれまで研究されたものは、まじめなものもふまじめなものも含めて、「特定の血液型の人は固有の性格をもつ傾向があるかどうか」について調べたものであり、「その性格のちがいが血液型のちがいに起因するかどうか」を調べたものではない。おそらく性格のちがいは、血液型のちがいにではなく、「血液型診断に基づいて繰り返しインプットされた、本人の『あるべき性格』に関する情報」に起因している。検査せずに「おまえはO型」と聞かされて育った人が、検査してみたら実はA型だと知り、それ以来性格が変わってしまったという話を聞いたことがある。つっこまれると面倒なのでしつこく書くが、ここでは血液型性格診断が正しいかどうかを議論しているのではない。「仮に」「万が一」血液型性格診断がまったく根拠のない嘘であったとしても、血液型性格診断が正しいと信じられている国に育った人は、血液型性格診断と整合的な性格に育つ傾向を持つ可能性が高いということだ。自分を「そうでありたい自分」に変えてしまうのだ。

だからといって、選択認知を望ましくないものとしてみる必要はない。人はすべてを理解することはできない。限られた知識、限られた判断力で、未知の状況に立ち向かっていく。そのために、過去にうまくいったやり方を応用したり、自分にとって(おそらく他の人にとっても)自然に受け入れられるやり方をとろうとしたりする。遠い昔は、それが人間の生存確率を高め、自然淘汰の嵐をくぐりぬけるのに必要だったのだ。

さて、森さんの論説に戻るが、「信じたい人々」にとって、まったく救いがないわけではない。再び引用する。

 「小さな世界」実験から得られたことは、僕らは70%もの郵便が目的の人物に到達しなかったという、失敗が当たり前な「大きな世界」に住んでいるという孤独感を感じること、ではないだろう。むしろ、たった30%であっても、その30%の成功に結びつくにはどれほどたくさんの人たちの善意がなければいけなかったのかということを忘れてはならないのではないか。もちろん、30%の成功に結びつかなかった、見えない善意もたくさんあったに違いない。それは、世界中のすべての人たちが6人で介在されるという錯覚された幸せよりも、もっと大切なことの確実な幸せなんだと僕には思えるのだが。 」

このへんが森さんの誠実なところだ。新しい見方で、選択認知と科学との折り合いをつける道を見つけてくれている。私はもっとすれた性格なので、「信じたい人が信じて、それで世の中が少しでもよくなるならそれでいい」と考える。どんなに説明しようが、人は見たいものを見る。信じたいものを信じる。それを止めることはおそらくできない。だとすれば、少しでも多くの人が、少しでもいいことを信じたいと思うようになればいい。6人たどれば世界中とつながる、と思うことによって、他の国の人々のことを身近に感じたり、その人たちに共感できたりするのであれば、それはそれでいいことだと思う。

もちろん、「つながっている」をただ妄信しているだけでは何も解決しない。実際には6人どころか、10人、20人たどっても、つながっていない人々がたくさんいるはずだ。せっかく信じるならば、それによって自分の行動を変えていってもらいたい。世界の中に自分と敵対する人がいたとして、6人ではつながらなくとも、10人、20人ではだめでも、100人、200人とたぐればつながるかもしれない。つながらないなら新しくつなげればいい。私自身は、6人で世界がつながるとは思っていないが、たどっていくとやがては世界とつながっているかも、と考えることが、世界に対する自分自身のスタンスとして悪くはない、とも思う。実験で「30%の成功」をもたらした人々のつながりを実感するのと同時に、少々青臭いが、残りの70%の人々ともつながっていく可能性を信じて日々悪戦苦闘する、という自分でありたいと思う。難しいことだけれど。

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Comments

やまぐちさん、おはようございます、

トラックバックありがとうございます。少々、感動しております。

Posted by: ひでき | October 06, 2004 07:30 AM

見たいものを見て、それを実現させてしまう行為を、ある一群の人々は「祈り」と呼んでいたりします。経済活動も、ある程度、そうした行為の影響を受けることが多いのでしょうね。ある種の「お金持ち本」を見ていても、そんな感じがします。

Posted by: miyakoda | October 06, 2004 08:38 AM

この記事の本題からはちょっと外れるのですが、韓国でも血液型を気にするようです。関連記事をトラックバックさせていただきました。
割とアジアではそうなのか、それとも日本に造詣の深い韓国人だからそうなのかというところまでは未調査です。でも、彼女の話しっぷりでは昨日今日に習得した価値観のようには感じませんでしたが・・・

また今度韓国人に聞いてみますね。

Posted by: Hiroette | October 06, 2004 09:23 AM

Hiroetteさん
コメントありがとうございます。
これを書くにあたって少し調べたところ、血液型診断については、韓国、台湾、中国、香港などにはあるとの記載を見つけました。
「ABO Fan」(http://www010.upp.so-net.ne.jp/)
東欧にもある由。少なくとも、アジア圏の諸国に関しては、いずれも日本文化の影響を強く受けている地域ですね。東欧はよくわかりません。
上記のサイトの管理人の方は否定論者の意見も冷静に分析するなど、まじめに取り組んでおられるようです。血液型による性格診断の効果を肯定する学術論文もあるとか。ただし全般的にみれば、はっきりいって「学問的論証に値しない」との評価が通説であり、したがってほとんどの研究者が関心を持たないのだと認識しています(医学関係の論文がないのを不思議に思いませんか?血液型って、抗原の種類か何かなんですよね?それがどういうメカニズムで性格に影響を与えるのか、医学研究者が関心を持たないはずがないと思います。もし彼らの誰か1人でも「根拠あり」と考えるならば)。
ともあれ、血液型性格診断の有効性を議論するのが目的ではありませんので、念のため。

Posted by: 山口 浩 | October 06, 2004 10:31 AM

やまぐちさん

どうもありがとうございました。

で、血液型ですが、日本と台湾、韓国の共通点は、大日本帝国陸軍が行政をつかさどっていたことのある地域ということです。

もともと、ABO型を言い出したのは帝国陸軍に重用された東大医学部の教授で、単純明快な人間の区分の方法を求められて提供したのがきっかけといわれています。それが、帝国陸軍の徴兵制に応用されたため、大東亜共栄圏を構成すべく集められた国には、その区分が「文化」として残ったことが知られています。

このあたりは、社会心理の研究者で一時流行った話で、同社大学の柴内さんが東大博士課程時代にまとめておられます。 > http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/

で、生理学的には、根拠はないのが論証されているのだとか。

ご参考まで

Posted by: yujim | October 06, 2004 10:50 PM

yujimさん、コメントありがとうございました。
やはり「実も蓋もない」ですねぇ。「信じたい人」にとっては目にしたくないものでしょう。
私としては、①統計的な関係すら怪しい、②心理学者はけっこうまじめにとりくんでいる(こういうものがまかり通ってしまうメカニズムについて)、の2点が新しい発見でした。
もう1ついえば、経済学や経営学の論文における統計の扱い方でも、挙げられた柴内さんのような方からみれば「トンデモ」なものがあるんだろうなぁ、と。心してかからねば。
あ、しつこいようですが、このエントリは「断じて」血液型性格診断そのものの妥当性を議論するためのものではありませんので念のため。

Posted by: 山口 浩 | October 07, 2004 09:25 AM

>この記事の本題からはちょっと外れるのですが

とコメントに書いたのですが、結果的にブログの本筋と外れた展開をするきっかけを作ってしまってすみませんでした。

いえ、本文的には気になるお題なので私なりになんか書いてみたいような気もするのですが、選択認知とかの言葉がまだよく理解できていないのでまた出直します。

Posted by: Hiroette | October 07, 2004 05:11 PM

Hiroetteさん
あ、いえ、いいんですよ。それよりも、ぜひ韓国人のご友人に聞いてみてください。血液型占いがいつごろからあるのかって。日本発だということを知っているか、もいっしょに。

あ、それから、各血液型の特徴とされる性格のタイプも。どうも国によってちがうらしいのです。そういえば、なぜ幽霊は国によって姿がちがうのか、という話もしましたね。

Posted by: 山口 浩 | October 08, 2004 01:45 AM

いやあ、「実も蓋もない」のが得意技になってしまっていますねぇ・・・(苦笑)

Posted by: yujim | October 08, 2004 02:19 AM

おっと、字までまちがえてましたか。
すいません。直しておきます。

Posted by: 山口 浩 | October 08, 2004 10:46 AM

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