紀宮殿下ご婚約との報に接し
心よりお祝いを申し上げます。
いやーよかった。誰にとって?もちろん当事者・関係者の皆さんにとってだが、新潟で被災された皆さんにとっても、いいことだったのではないか。
(以下は皇室や被災者の皆さんをちゃかしたりするものではない。念のため。)
報道によると、「紀宮殿下及びお相手の方も、新潟県中越地震の被災者の多くが避難所で暮らす今の状況を考慮され、12月後半まではご慶事の発表を行う気持ちはおありにならず、両陛下もお二方のその気持ちを尊重されている」のだそうだ(記事はこちら)。しごくもっともな考えだと思う。なぜそれより前に情報が出たのかわからない(海外メディアが報道協定を破ってすっぱ抜いたとも聞いたが、詳しくは知らない)が、結果としては、よかったのではないか。
被災者の間にどのくらい皇室に対する好感があるのか知らないが、高齢者も多いし、一般的に考えれば皇室の慶事をめでたく思う人は少なくなかろう。つらい現実の中でもうれしく思うことができるのなら、「国民とともにある皇室」のあり方として、それはそれなりに充分価値がある。
被災者の方々にとってもう1つよかったのではないかと思うのは、これで被災地に群がっていたマスコミの数が減るだろうということだ。もうかなり少なくなってはいるだろうが、これまで世間の話題が新潟県中越地震に集中していたため、それでもけっこうな数のマスコミが取材に来ていたはずだ。中にはあまりたちのよくない者たちもいたようで、現地でさまざまなトラブルを巻き起こし、良心的なマスコミを含む多くの人達から顰蹙を買っていたのだ。そうしたたちの悪いマスコミは、なんでも新しい話題がありさえすればよい。「紀宮殿下ご婚約」という新しい話題を得た今、彼らが新潟にとどまる理由などない。紙面やら番組やらは、皇室の話題で埋めればいいのだ。皇居、都庁、お相手の人の自宅、…張り込む先はいくらでもある。
マスコミ論がいつも堂々めぐりになるのは、マスコミ人が千差万別であるのをひとくくりにするからだ。マスコミを非難する人が念頭においているのはその中でもたちの悪いマスコミ人だが、それに対して反論する人たちが考えているのは良心をもって深く考え、節度をもって行動するマスコミ人だ(たとえば最近「週刊!木村剛」における木村剛氏とのやりとりで有名になった「ガ島通信」さん)。これらをいっしょくたにしては、議論が成り立つわけがない。たとえば「日本国民は免許を受けて自動車を運転する権利を持つから、暴走族にも暴走行為を行う権利がある」などといっても説得力がないのと同じだ。今回のような問題で焦点をあてるべきなのは、当然ながらこの例でいえば「暴走族」に近いほうのマスコミだ。マスコミの方で、深い問題意識から優れた議論をされている方が多くいるのはわかっているが、「暴走族」が現実に(しかも少なからず)いる以上、それをなんらかのかたちで抑止するための策が議論されるべきなのは当然だと思う。それは暴走族を一般のドライバーとは分けて考えるのと同じで、自然なことだ。自助努力ができるならそれに任せるべきだろうが、できないなら、他人の手で。政府による規制か、市民による監視か。両方あってもいい。
むろん、悪質なマスコミが去っても、少なからぬ良心的なマスコミは、新潟のことを忘れたりはしないはずだ。今何が起きているのか、どんな問題があるのか、何をどうすればいいのか。住民の声、行政の苦闘、政府の対応、将来への教訓など、継続的に伝えていくべきことはたくさんある。現地に残る良心的なマスコミは、被災者に寄り添い、こうした地道な報道を続けていってくれるであろう…くれるはずだ…いや、続けてくれなくては困る。
もし被災地に誰も残らなかったとしたら…。万が一マスコミが被災地を忘れ去ってしまうとしたら…。
とりあえず私たちは、「良心的」なほうのマスコミに期待しよう。おそらく大丈夫だと思う。それから私たち自身も、いたずらに騒ぎ立てることなく、静かに、被災地のこと、地震のことを心に留めていこう。
ご婚約の当事者であるお2人は、これからある意味「受難の日々」を迎えることになる。しかしそれは、上記の意味で「noblesse oblige」ということになるのだろう。お祝いとともに、たいへん不遜ながらエールをお送り申し上げたい。
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