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November 23, 2004

48.7%の「ごめんなさい」からアメリカを考える

さる方から、米大統領選挙で民主党のケリー候補が負けてごめんなさい、と支持者たちがあやまる写真を掲載するウェブサイトがある、と教えていただいた。「Sorryeverybody.com」という。

トップ画面の写真をクリックすると「Gallery」に飛ぶ。さまざまな人がメッセージを書いた紙などを持って映っている。ケリー候補を支持したアメリカ人たちだ。メッセージは、「世界の皆さんごめんなさい、私たちはできる限りのことをした」とか、「信じてくれ、アメリカ人の半分は彼に投票しなかったのだ」とか、ブッシュ大統領を「当選させてしまった」ことを、アメリカ人として世界に対してあやまっているのだ。

このサイトは2004年11月5日、つまり大統領選挙の決着がついた日に若い民主党支持者が始めたものらしい。

この日、米大統領選挙の投票結果は次のように確定した。

   氏名            得票数   得票率   獲得選挙人数
ジョージ・ブッシュ(現職)  59,459,765    51.3%     286人
ジョン・ケリー         55,949,407    48.3%     252人
ラルフ・ネーダー         400,706    0.3%       0人
合計             115,809,878            538人

得票数でいけば、ブッシュ大統領に投票「しなかった」有権者は、ラルフ・ネーダー候補の支持者も入れて56,350,113人、率にして全体の48.657%である。ほぼ半分といっていい。まさに「国論を二分する選挙」だったわけだ。民主党支持者はもちろん、無党派層でも「anyone but Bush」と叫んできた人が多かったはずである。その心中やいかに。

48.7%の「ごめんなさい」を並べたこのサイト、少し時間をとっていろいろ見てみるといい。アメリカは一様ではない、というごく当たり前のことが実感としてよくわかる。よく「アメリカ人は」と十把一からげにして語ることがあるが、そんな単純にはくくれない場合がかなりあると思う。

さて、ここで少し視点を上げ、歴史的に俯瞰してみる。といっても歴史学者のように高邁な議論をしようとするのではない。素人レベルの思いつきだ。

アメリカに関して「国論を二分する」という表現で思い出すのは、南北戦争(1861~65年)だ。おそらく誰かがもう指摘しているとは思うが(少し前の朝日新聞のコラムでも、少しちがうが南北戦争との対比をしていた)、南北戦争時の南部諸州(バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダ、テネシー、アラバマ、ミシシッピ、アーカンソー、ルイジアナ、テキサス)では、今回いずれもブッシュ大統領が勝利している。ブッシュ大統領のお膝元であるテキサス州ももちろんだ。

南北戦争時は、南部の綿花栽培業者たちが自由貿易と低率関税をとなえ、北部商工業者が保護貿易と高率関税を主張したのと対立した。今回ブッシュ大統領は減税、ケリー候補は国内産業の保護を打ち出していたのだが、政策の対立構図が南北戦争時と少しだけだが似ていないだろうか。その意味で、今回の選挙は現代ふうの「南北戦争」だったのかもしれない。前回の「戦争」では北軍の勝利に終わったが、今回は「南軍」が勢力を大幅に拡大し、沿岸部の諸州を除く内陸部の大半の州を抑えて勝利したことになる。

19世紀の「戦争」での北軍の勝利は、奴隷解放などにつながっていった(その後も続いた黒人差別などの問題はここでは捨象する)。南部は奴隷制度を支持していたわけだから、自由とか平等とか、私たちがイメージする「いいイメージのアメリカ的なもの」は、一般には北部側の考えに近いと思うのが、私を含む一般的な日本人(要するによく知らない人たち)の感覚ではないだろうか。

しかし実際には、北軍を率いた北部の連邦政府は政治的に中央集権指向で経済面では保護主義的であり、一方南部諸州は政治的には地方分権的で経済面では自由主義的だった。上記の私たちの感覚と少しずれているような気がする。このずれはいったい何だろうか。

ひとつ考えられるのは、アメリカ的な「自由」なるものは、「内輪の人々」のための自由であって、部外者の自由ではない、ということではないか。北部側が奴隷制に反対したのは、奴隷たちの人権に配慮したためでもあるのだろうが、それだけではない。急速な工業化をすすめるために、南部のプランテーションに縛り付けられている奴隷の労働力が必要だったのだそうだ(Wikipediaによる解説はこちら)。また、南部の人々がもっていた「自由主義」的な考え方は、自分たちが中央政府なり何なりの影響をうけずに自由に行動したいということであって、奴隷たちにその自由を与えるべきだという発想にはつながらなかった。彼らは「内輪」ではなかったからだ。

「内輪の自由」という考え方は、現在のアメリカをみるときにも、あてはまる部分が少なくないように思う。たとえば日本に駐留するアメリカ軍人が日本国内で犯罪を犯した場合に、日本の警察に引き渡すかどうかでよくもめているが、あれがまさにそうだ。日本では被疑者たるアメリカ人の人権が守られないおそれがある、というのが理由だ。その同じアメリカ軍が、イラクなどで同じく「犯罪者」であるはずのテロリストなり、テロリストとの関わりを疑われた人々に対してどのような対応をとっているかと比べてみるといい。経済面でも自由貿易と国内産業の保護が当然のように両立する。こうしたダブル・スタンダードはどの国にもあることだが、アメリカの場合影響が大きいし、何よりあまりにしれっとしているので、いやでも目立ってしまうのだ。

今回48.7%のアメリカ人(の一部の人たち)が世界に対して「ごめんなさい」といっているのを見ることになったわけだが、思い起こせば2001年9月11日の同時多発テロ発生直後、この同じ大統領に対する支持率は90%を超えていた。「48.7%」のうちかなりの人は、「テロとの闘い」を力強く宣言するブッシュ大統領に熱狂していたのである。このことは、忘れるべきではないと思う。もちろん、ケリー候補を支持した人たちのうちかなりの数の人々は、世界に対する責任感からではなく、アメリカとアメリカ人たちの利害という観点からブッシュ大統領に「ノー」と言ったにすぎない。どちらにしても、「内向き」であることにかわりはない。

別に「アメリカ人は信用ならない」とかいいたいのではない。アメリカ人だけが特別だとも思わない(若干ちがう傾向があるとは思うが)。まちがいないのは、「利害を異にする人同士が理解し合うのはとても難しい」ということだ。利害はたいてい、思想やら理論やらといった皮をかぶってやってくる。それぞれの立場から「best and brightest」の人たちが主張するから、どちらかが他方を論破するのはまず不可能だ。そして同時に、しばしば「過去のうらみ」という尻尾を引きずっている。この皮やら尻尾やらには毒がしみこませてあって、まわりの人々をこの毒で侵していく。いったんこれに侵されたら、自分で除去するのはこれまた至難の業だ。

「利害」はとてもやっかいな獣だ。油断させて近づき、かみつかれたらその仲間になってしまう。この獣とどう接するか。簡単な解決策などない。暗澹たる気分になる。

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