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November 07, 2004

Blog時代の私的メディア・リテラシー論

メディア・リテラシーということがよくいわれる。このことばは、「IT用語辞典 e-Words」には、「情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力。メディアの特性や利用方法を理解し、適切な手段で自分の考えを他者に伝達し、あるいは、メディアを流れる情報を取捨選択して活用する能力のこと。」と定義されている。

最近あちこちで、「Blogはメディアか」といった議論が聞かれるようになった(自分もした)が、このことはメディア・リテラシー論に影響を与えるのだろうか。この分野は思いっきり素人なので、筋違いだったり既に古くさかったりすのかもしれないが、自分なりに少し考えてみた。


メディア・リテラシーに関する上記の定義は、暗黙裡に、情報の送り手である「メディア」と受け手である「市民」を分けているように思われる。「自分の考えを他者に伝達し」とはあるものの、どうもプロであるメディアから流れてくる情報をアマである市民が理解し、加工し、自分の意見に取り入れ、他人に伝える、という流れが想定されているように思うのは、理解が浅いだろうか。

メディア・リテラシーの世界(Media Literacy Project in Japan)」というサイトがある。明記はされていないが、どうも立命館大学産業社会学部の鈴木みどり教授が管理されているサイトらしい。ここにはメディア・リテラシーに関するさまざまな情報が集められているが、その中にカナダの「メディア・リテラシー協会」によるメディア・リテラシーの定義が掲載されている。

「メディア・リテラシーとは、メディアはどのように機能するか、メディアはどのように意味をつくりだすか、メディアの企業や産業はどのように組織されているか、メディアは現実をどのように構成するかなどについて学び、理解と楽しみを促進する目的で行う教育的な取り組みである。メディア・リテラシーの目的には、市民が自らメディアを創りだす力の獲得も含まれる」

最後の一文は、市民が自らメディアの作り手となることをを視野に入れた表現だと理解した。ここにカギがあると思う。Blog時代のメディア・リテラシーとは、読み手であると同時に書き手でもある自分をこれまでより明確に意識するものなのではないか、と。

それをふまえて、自分なりに、メディア・リテラシーについて考えてみる。「定義」のようなものは難しいので専門の方に任せるとして、とりあえず、「メディア・リテラシーのあるbloggerはどんな人だろうか」、といったかたちでリストアップしてみたいと思う。

①マスメディア、blog、2ちゃんねるなど、どんな情報でも、それをそのまま鵜呑みにするのではなく、信頼度を見極めたり、書き手のスタンスを意識したりしながら読むことができる。
この立場に立つ人は、言論や情報に「絶対に正しい」ことを要求しない。あらゆる意見は仮説または意見であり、なんらかの前提条件や文脈、文化的背景などに立脚したものである。それらは正しいことを「保証」されたものではなく、反証や反論を経て初めて一定の信頼を勝ち取るものだ。したがって、言論や情報に接する際、それをクリティカルにみるのが自然な対応となる。当然、それには一定の知識と訓練が必要だろう。かなりの部分は経験で補えるものでもあろうが。

②言論のいいところと悪いところを区別できる。
言論は○か×かではない。1点悪いところがあったからといって言論全体を否定したりせず、いいところはきちんと評価する。逆に全体としていい議論であっても、その中によくないところがあれば、その点についてはきちんと指摘する。反証や反論によって否定された部分も、議論を深め、言論のコミュニティ全体をより高い位置に引き上げるうえで価値のあることと認める。

③人と、その人が書いたものを区別する。
自分が書いたものが否定されても、それが自分の人格を否定されたものとは考えない。逆に、人が書いたものへの批判を行うときも、それを人格否定の道具として用いない。

④他人への敬意を払う
言論に対する批判を行うに際しては、言論やその著者、著者が書くために行った努力に対し正当な敬意を払う。少なくとも公の場では、他人をあからさまに侮辱するような言動や、礼を失した表現をしない。自らの能力に限界があることを認め、他人への侮辱が天に唾する行為であることを理解する。

既存のメディア・リテラシー論と比べ、「書き手」と「読み手」がより相対化され、交代しうるべきものという考えに立脚したものを意図したのだがどうだろうか。読んでみると、既に多くの方が書かれている(私も書いた)「bloggerのマナー」みたいなものとあまり変わらないようにも思える。「Blog時代のメディア・リテラシーとは、ネット・リテラシーのことだった」というオチになるのだろうか。

そういえば、既存のマスコミの人々には、書き手としての自分たちが備えるべき「メディア・リテラシー」という発想があるのだろうか。そんなものはプロだから当然備えていると考えるのだろうか。それがない人がいるからこんなに世間から叩かれているとも思えるのだが。とすると、メディア・リテラシー教育は、情報の受け手である市民もさることながら、出し手であるマスコミに対しても、もっと力を入れて行わないといけないのではないか。

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