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November 01, 2004

暴論:「結婚の契約」論

「結婚」というのは、法律的には「婚姻」の契約だが、もとが「愛情」というけっこうあいまいなものに基づいているために、どうも法律的な扱いにはなじまない、という考え方が一般的だと思う。つまり、この法律関係ができる最初(婚約~婚姻届まで)と最後(離婚届、またはそれに関連する財産分与等。死別なら相続などもあろう)以外は、法律とは無縁であることが望ましいというわけだ。

しかしこのために、結婚生活は不確実で流動的なものとなり、当初の期待とはかけはなれた推移とたどることがありうる。どうもみるところ、こうした結婚に伴う不確実性が、女性の結婚への意欲を低下させる一因になっているのではないだろうか。とすれば、この不確実性に対応する柔軟性の確保、および不確実性そのものの低下を保証するしくみがあれば、結婚に対する意欲が多少なりと高まるかもしれない。

というわけで毎度おなじみの暴論シリーズだが、結婚に、他の領域における契約の発想をとりいれてみてはどうか。

要は、結婚というものを、明示的に契約と考え、他の分野で契約に関して行われているやり方を結婚にも導入してはどうか、ということだ。もちろん、晩婚化の原因は女性ばかりではない。男性にも「結婚したくない」という人が数多くいるだろう。ただ、個人的な偏見かもしれないが、女性が結婚に対して消極的になる傾向のほうが、男性の場合と比べて強いような気がする。したがって以下は、基本的には(自分が想像した)女性の視点から考えてみた。

まず必要なのが、契約の明文化だ。つまり、「結婚契約書」といったようなものを契約時に締結する。ここでは2つの要素が必要となる。1つは、企業合併などにみられるような、合併(結婚)が効力を発生するために双方が満たすべき条件の明示だ。互いが持ち寄る財産の特定、健康診断書の交換などがあるだろうが、場合によっては事前に「人間関係」の整理が必要となる場合もあろう。

もう1つは、借家の契約によくあるような、契約期間内に適用される双方の権利義務、および解約条件の明示だ。具体的には、たとえば家事の分担、期待される生活のレベル、生活費の受け渡し方法などを決めておく。また、こういう状況が生じたら離婚、という条件も定めておく。この契約に違反した場合には是正するよう期限を決めて催告し、それでも是正されなければ離婚、といった感じだろうか。離婚の際の財産分与に関する予約条項を入れておく手もある。
さらに、お互いにとって「高い買い物」である以上、クーリングオフの制度は欠かせまい。成田離婚のように、結婚後一定期間内に離婚した場合には戸籍に結婚歴を残さないですむ、というのはどうだろう。

この契約は、手書きにすることが望ましい。このへんはやはり「心」をあらわす必要があろう。そのうえで、この契約への署名を、結婚式か披露宴かの新しいハイライトになるセレモニーとなるのではないか。ウェディングケーキに入刀するのもいいが、契約書にサインするほうがより明確に意思をあらわすことになるはずだ。

もっとしっかりやるなら、契約の署名時には公証人を立ち合わせる、という考え方もある。結婚式場には必ず公証人が控えるようにするといいかもしれない。最近は仲人を立てないのが主流だそうだが、仲人の代わりに公証人、というのはどうだろうか。

何もこんなことまで決めなくても、と思うかもしれない。当然だ。これはあくまで一種の思考実験のための暴論である。もしこういう慣習があって、夫の家事負担が法的な義務として明確に定義され、いざとなればそれを強制する手段もあるとなると、結婚に対する不安が少しでも減るだろうか。もちろん逆のパターンもあって、男性の中にも妻の義務が明確に決まっているほうがいい、という人はいるだろう。当初決めておいても時間がたつうちにあいまいになるのが普通だろうが、書面に残しておくことで、「初心」に立ち返りやすいかもしれない。

それとも、契約なんかさせられるくらいなら元から結婚などしない、となるだろうか。

※追記
日本経済新聞の夕刊に、家庭を市場化するとか何とかいう小説が連載されている。タイトルは「ホーム・ドラマ」。社会が市場経済化したから家庭も、といった屁理屈が滔々と(自慢げに)展開され、市場経済なるものに対する嫌悪感が醸成されていく小説なのだが、この小説が心底嫌いだ。早く終わってほしいと思う。もともとあった市場が規制やら既得権やらでゆがめられていた社会の「市場化」(というより「市場の再生」だ)と、もともと通貨で価値をやりとりするしくみがなかった家庭に「市場ごっこ」を持ち込むのとはまったくちがう。この小説は、市場の論理で家庭を語るかのように見せて実は家庭の論理で市場を断じているが、これはおかしいと思う。作者は「いいことを思いついた」などと思っているかもしれないが、完全に的外れなうえに思いっきり時代遅れだ。朝刊の「新リア王」を未完で終わらせるぐらいなら、こちらのほうこそ今すぐ打ち切ってもらいたい。上記の「結婚に契約技術の発想を持ち込む」という考え方は、この小説と似ているようにみえるかもしれないが、少なくともその意図はまったくちがうので、断っておきたい。

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