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November 27, 2004

ゾロ目番号札の使い道

日本銀行の職員が、ゾロ目など珍しい番号の新札を抜き取ったとして処分を受けた(記事はこちら。日銀による発表はこちら)。

この職員たちに同情はしないが、何か筋ちがいな感じがする。なぜだろうか。

邪推かもしれないが、こうしたことは、昔からあったのだろうと思う。この人たちだけが特別だという気はしない。ゾロ目のような珍しい番号であれば額面以上の価値があることはかねてから知られているし、しかも新札発行はめったにないことだ。「家族に見せたかった」などと供述しているようだが、「高く売れる」ことが常識である以上、そのまま信じるのはお人よしというものだろう。

そこまではいい。どうもしっくりこないのは、報道内容が「そもそもこれがなぜ悪いのか」という点にあまりつっこんでいないことだ。日銀の福井総裁は「国民の皆様に深くお詫びし、再発防止の取り組みを進めるよう指示した」との談話を発表したそうだが、何についてお詫びするのだろうか。ニュースをいくつか見てみたが、処分されたとは書いてあるが、なぜ処分されたのかは、はっきりとは書いていない。日銀のニュースリリースでみると、行内の規則で発券課の事務室内に現金を持ち込んだこと、窓口以外で交換を行ったことなどが行内規則に違反しており、また「日本銀行の公共的使命を自覚し、職務の遂行に当たっては、公正を旨としなければならない」という規則にも違反した、ということらしい。「行為そのものは不正ではなく、新札を『交換』しただけ」として警察にも被害届などは出していないというから、法令違反などではないのだろう。

「価値のある札を抜き取ったのだから悪い」というシンプルな発想もありうるのだろうが、ゾロ目札の価値について、日銀の態度がはっきりしないのも、わかりにくい理由だ。ニュースなどから判断するに、基本的には、日銀にとって1万円札はどれも同じ1万円であって、それ以外の価値はない、という扱いと思われる。また貨幣なるものはそうでなくてはおかしいし、窓口で「ゾロ目札をくれ」という客が列をなす事態になっても困るだろう。

しかし一方で、日銀は、職員が抜き取った11枚の紙幣を回収し、本来受け取るはずだった顧客と、紙幣の交換に応じるという。おかしいではないか。1万円札はどれも同じ1万円ではないのか。これは、「1万円札が1万円でない価値を持つ」ことを日銀自身が認めたことにならないか。通貨の番人としてふさわしいふるまいなのか。

…いや、別に目くじらをたてるような問題ではない。一貫していないのが気に入らないだけだ。というよりむしろ、私としては、日銀ももっとゾロ目札の価値をもっと積極的に認めたらどうか、といいたい。ゾロ目番号の珍しい新札には額面以上の価値があるのだ。それは「通貨」としての価値ではなく、「コレクターズアイテム」としての価値だ。ならば通貨として使うのではなく、コレクターズアイテムとして販売すればいい。アメリカの紙幣を印刷している財務省のThe Bureau of Engraving and Printing(日本語では何というのだろう?ちなみに、ここのURLのドメイン名はしゃれていると思う)では、ゾロ目の紙幣を額面より高く売っている。目立つのは「8888」など8ぞろいのもので、想像つくだろうが中国人向けだ。こうした考え方は、決して「通貨の番人」という立場とは矛盾しない。特別な番号の場合だけのことだからだ。それに、特別な価値のある紙幣を一般の紙幣とは分離することは、かえって通貨秩序の点からは好ましいと思う。中世の日本じゃあるまいし、人々が財布の中の通貨を選り好みするのは、日銀が見たい光景ではないはずだ。

日銀も、ゾロ目の紙幣は高く売ればいい。額に入れて、おまけに日銀総裁のサインでもつければ、1万円札が10万円ぐらいに化けるかもしれない。よく日銀の株式(「日銀出資証券」という)をお守り代わりに額に入れて飾っている人がいるが、それと同じだ。その差額(通貨発行益と少しちがうが似たようなものだろう)が誰かのポケットに入るのではなく、しかるべき機関に帰属してしかるべく使われるならば、誰も文句はいえないはずだ。現在のやり方よりよほどすっきりする。何なら記念品用に、ゾロ目の札だけを大量に発行してもいいかもしれない。

報道をみていると、どうもマスコミの皆さんは、公務員の不祥事に対するとき、「公務員だけずるい」という発想で臨む傾向が強いように思う。要するに「嫉妬」だ。強力な感情で共感を呼びやすいのだろうが、なんとも品がない感じがするし、ものごとを本質からむしろ遠ざけてしまう弊害もある。もう少し考えたらどうか。

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Comments

山口さん、お久しぶりです。
以前、陸運事務所の職員が、ゾロ目のナンバーを自分たちや懇意の業者に回しているという噂がありましたが、それと同じ問題ではないかと思います。
その後、車のナンバーは希望ナンバー制度を導入して付加価値を持つようになりましたが、問題の本質は、そんなモノを有り難がる市民の側にあるのではないでしょうか。

Posted by: あざらしサラダ | December 02, 2004 10:52 AM

コメントありがとうございます。
確かに、車のナンバーにも同じことがありますよね。私はあざらしサラダさんとは少しちがった考え方でして、珍しい番号をありがたがること自体は、あってもいいことではないかと思います。人がそれに価値を見出すならば、アーティストのサインが入った便器が現代アートになるし、「幸福」駅の切符はお守り代わりになるし、婚約したらこんぶ(子宝)だのあわび(長寿)だのを贈るわけです。それは人々の願望がなせるわざなので、「そんなものは古臭い。捨てるべきだ」などと言ってもそう簡単には変わりませんし、非難すべきものでもないと思います。

私としては、もし日銀が市民感覚を持つならば、こういう珍しい紙幣は別に取り分けて、欲しい人にそれなりの値段で売るほうがいいと考えてしかるべき、と思いました。誰も財布には入れないであろう10万円の金貨を作ったりするわけですから、そのくらいの機転はきかせてもいいのでは、と。

Posted by: 山口 浩 | December 02, 2004 11:38 AM

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