Blogで解雇 in Washington
Bloggerがそのblogの記述内容によって解雇された例は、アメリカなどでいくつか知られている。制服姿の写真を掲載して解雇されたデルタ航空職員の例が有名だろう(CNETの記事はこちら。WIRED NEWSの記事はこちら)。以下は、日本ではあまり大きくとりあげられていないが、他にも政界の女性スキャンダルに発展しかねなかったケースだ。「Washingtonienne」というblogである。
上記参照先URLのBlogは、元のサイトが閉鎖された後に別の人々によって復元されたものだ。また、「Return to Forever : Yr Biz Ref site」にコピペされたものがある。内容が内容だけに、削除される可能性を懸念したのだそうだ。著作権が気にならなくはないが、一応リンクしておく。
参照先サイトの内容は、一部に18禁のものが含まれている。18歳未満の方、およびその筋のものをお好みでない方は、ご覧にならないことを強くお勧めする。また、この話題を興味本位で知りたい方は、以下を読むより上記の参照元を直接あたられたい。以下の記述に「刺激的」な内容はないが、18歳未満の方は読まない方がいいと思う。
この件は、CNETでも取り上げられたのだが、この記事が「blogを理由とした解雇」に焦点をあてていたため、そのblogの内容まではふれていなかった。この「Washingtonienne」の場合、blogを理由とした解雇という点だけでなく、その内容自体もインパクトの強いものなのだ。
Blogの著者はJessica Cutlerという女性だ。このblogは、2004年5月5日に始まり、同18日に終わっている。この時期彼女はワシントンDCで、ある上院議員の事務所のインターンとして働いていた。Blogはそのときのことを綴ったものだが、内容は職務上のできごとというよりは、彼女が複数の男性と交際(中にはその上に「援助」とつけるべきものもある)していたというのが主だ。どうもこのblogの更新が勤務時間中に行われていたという理由によって解雇されたらしい。
彼女の「相手」の中の1人は、連邦政府の責任ある立場の人のようだ(大統領に直接任命される立場の人、とある)。最後のエントリでは、この人が「400ドル」を支払ったと書かれている。日米含めてこの種のものの「相場」がどのくらいなのか知らないが、なかなかの額だと思う。少なくとも、年収25,000ドルの彼女にとっては、ありがたい収入だったろう。
このblogが書かれたのは5月で、大統領選の選挙戦真っ最中だった。候補者本人ではないので直接の影響は少ないのかもしれないが、時期からみて、まさに時宜を得たというか、間が悪いというか。Blogではイニシャルで表記されているお「相手」だが、アメリカでは固有名詞が調べられ公開されたらしい。私はその種の情報には興味がないので、そちらにご関心のある向きはご自分でお探しいただきたい。
私が関心があるのは、「ジャーナリズムの担い手としてのblogger」という文脈での話だ。
既存のジャーナリズムに対する補完ないし代替としてのblogに注目する向きは多い。「Washingtonienne」は、まったく意図していなかったとはいえ、その情報の重要性(政府高官の女性スキャンダルは、少なくともアメリカでは社会的に重要なテーマだ)からみても、独自性(まさに「一次情報」だ。このblogなしにこれらの事実が世に知られることはありえなかった)からみても、また「現場」性(日々更新はほぼリアルタイムといってよい)からみても、「価値」の高い情報だ。
さて、これが「Blogによる参加型ジャーナリズム」の一類型たりうると考えるべきなのかどうか。何しろこの女性は「不適切な関係」の当事者だ。仮にもしMonica Lewinsky(Jessica Cutlerは「第二のMonica」とも呼ばれるらしい)がblogを書いていたとしたらどうだろう?「現場からのレポート」は、「表現の自由」の領域なのか「プライバシーの侵害」なのか、「社会的に重要だから許される」のか。仮に女性側が最初から暴露を目的として近づいた場合はどうなのか。
「ジャーナリズム」という話をするとき、私たちは暗黙裡に、ジャーナリストは取材対象から独立している、と考えているのではないか。そうでなくては客観性が保てない、というのが根拠になろう。この観点からは、「Washingtonienne」は「参加型」ジャーナリズムとはちがう、ということになる。しかしそうだとすると、たとえば新潟県中越地震の際に被災者たちがつづった幾多のblogはどうなるのだろうか。これらのblogはマスコミでは報道されない貴重な一次情報を伝えてくれた。しかし彼らは「当事者」だ。ある意味では客観性を欠くことになる。
もとより答えを持って書き始めた文章ではない。よくわからないのだ。ただ、「参加型ジャーナリズム」といったときに、書き手がその対象の当事者であるという可能性、それが既存のジャーナリズムとはちがった性格をその情報に与える可能性については、意識しておいたほうがいいとは思う。
ともあれ。
日本全国の「最古の職業」の皆さんも、blogを始めてはどうか。日本の政治を変えられるかもしれない。それから有名人の皆さんは、「相手」がblogを書いていないかどうか、事前に調べることをぜひお勧めする。
この一件の情報を伝えたアメリカのサイトのいくつかは、その後報を削除している。その筋からの圧力もあったのかもしれない。この件が日本のマスコミでは伝えられていない点も気になる。何か背景があるのか。このエントリがひっそりと削除されたら、そのときは何かがあったのだとご了解願いたい。
ちなみに、この件についてGoogleで検索していたら、関連記事の機械翻訳にぶつかった。不謹慎だがこれは笑える。「Jessica Cutler」は「ジェシカ刃物師」となっている。確かに、「相手」の男性たちにとってはまさに「刃物」だったろう。恐るべしJessica。
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