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December 17, 2004

次世代DVD規格:いつか来た道

次世代DVDに関し、有力な2つの規格間の競争が激化している(関連記事はたとえばこちら)。1つは「HD DVD」規格で、もう1つは「Blue-ray Disc」規格だ(それぞれリンク先はWikipedia)。録画容量はBlue-ray Discの方が大きいが、既存のDVD規格との親和性(生産ラインの転用可能性など)やコストなどの面ではHD DVDのほうが優れているとされているようだ。事実上の標準(デファクトスタンダード)をめぐる競争のカギを握るのがハリウッドの大手映画会社で、映画のコンテンツをどちらの規格で出すかが、規格の競争力を決めるといわれている。現在のところ、映画会社も2つの勢力に分かれて、五分五分といっていい状況だ。このままでは消費者が選択に困る。なんとか統一できないものか。

といったあたりがこの問題で報道されているところだ。まあわからないでもないのだが、何やら違和感が残る。何だろう。

IT分野で事実上の標準が決まる際、コンテンツが重要な役割を果たすことがよくある。かつての家庭用ビデオレコーダの規格でVHSベータマックスが争ったとき、2時間の映画が(標準モードで)1本のテープで収まるVHSが勝った話は有名だ。また、かつて日本のパソコンで、DOS/Vの登場によってIBM-PC互換機が本格的に日本で売られるようになる前、長い間NECのPC98シリーズが大きなシェアを占めていたが、あれもNEC規格で作られた過去のソフトウェア資産を活かせるというのが大きな理由だった。

昔繰り広げられた競争と同様、次世代DVDについても、現在のところ、両陣営に引く気配はなく、折り合うことも難しそうだ。となれば全面対決ということになる。両陣営とも、消費者が自分たちの製品を選んでくれることを願いつつ、少なくとも数年は価格その他で泥沼の戦いをすることになるのだろう。

上記のとおり、一般には、これが消費者にとって望ましくないといわれている。それは、互換性のない2つの規格が並立することによって、自分が選んだ規格が競争に負け、せっかく買ったハードとソフトが無駄になってしまったり、自分の見たい映画ソフトが見られなかったりするからだ。だから気にするのは当然だ、というわけだ。確かにかつてビデオではこうした問題が起きたし、今回も起きそうな気がする。

しかし、これが本当に「全体として」消費者にとって不利益なのだろうか。上記の規格不統一のデメリット「ハードとソフトが無駄になる可能性」は、規格の勝ち負けだけでなく、世代交代によっても起こりうる。かつてパソコンの代表的な外部記憶媒体といえば、フロッピーディスクだった(我らがドクター中松!)。しかしひとくちにフロッピーといっても、最初は8インチ、その後5インチ、そして3.5インチと時代によって規格が変わっている。今、8インチや5インチのフロッピーディスクに収められたデータは、事実上消滅したも同然となっている。読み出せるハードがもはやないからだ。任天堂の携帯ゲーム機でも似たようなことが生じている。最新機種であるニンテンドーDSでは、初期のゲームボーイ用のソフトは使えなくなった(ゲームボーイアドバンスではゲームボーイのソフトを使えた)。このような世代交代による規格の「死」は、技術革新が進むにつれ、どんどん早く生じるようになってきている。このことを考えると、自分の持っているハードが陳腐化し、せっかく集めたソフトが使えなくなる事態は、規格が統一されていれば避けられる、というものでは必ずしもない。

ハリウッドの映画会社が2陣営に分かれているということも、実はそれほど深刻な問題ではないと思う。コンテンツを持つ会社が、特定のDVD規格だけに入れ込む必然性はあまりない。映画会社は映画ソフトを売りたいのであって、DVDのディスクそのものを売りたいのではない。有力な規格が2つあるなら、両方の規格で売り出せばいいだけだ。そのための追加コストも、ハードを作る会社と比べれば比較にならないほど低いはずだ。ビデオのときも、映画ソフトはVHSとベータが並売されていた。今回も、規格統一ができなければ同じことが起きるだろうと予想する。

一方、両規格が競争することは、規模の経済を追求しにくいという問題点はあるが、技術進歩が促進されるし、販売競争もあるから、逆に価格が安くなる可能性もある。ソフトも大半が両規格で発売されると仮にするならば、全体として、消費者にとってメリットのほうが大きいかもしれない。少なくとも、巷でいわれているほどはっきりした不利益ではないと思う。

では、両規格の競争は、だれにとって最も不幸なのか。つらつら考えるに、最も損をするのはメーカーかもしれない。競争により、投資は前倒しされ、値引き競争で収益は圧迫される。相対的にコンテンツサイドの立場が強くなるから、ライセンスなどの交渉条件も悪くなるだろう。それにも増して最悪の結果は、この競争により、次世代DVD全体の普及が遅れて需要が低迷してしまい、そうこうしている間にそのまた次の世代の規格が生まれてしまうことだ(事情はちがうが、本格普及前に次の規格に呑み込まれた例としては、レーザーディスクなどが挙げられるかもしれない)。現在、ブロードバンドが相当な勢いで家庭に普及してきていて、ネット経由のストリーミングなどで映像コンテンツを購入するというやり方が増えている。また、USBメモリもどんどん大容量のものが増えてきているし、ハードディスクに保存するやり方もある。ディスクにデータを格納するというスタイル自体、今後どれほどサステナブルなのか。もし次世代DVD市場自体が花開く前にしぼんでしまうとしたら、それまでの各社の投資は無駄になる。ディスクの規格間で争っている場合なのだろうか。

とすると、これは「囚人のジレンマ」の新しい事例となるかもしれない。マスメディアが伝えるように、両陣営が協議してどちらかの規格に統一した場合、ライセンス料などでも譲った側にデメリットの出ないようなスキームを協力して作ることができれば、互いにメリットのある連携を行うことができる。しかしこうした協議なしに自陣営のみが発売し、相手側が自陣営の軍門に下ってくれれば、より高い収益を上げることができる(軍門に下った側はしぶしぶ従い、低い収益性に甘んじることになる)。とするとどちらの陣営も、相手の行動にかかわらず自陣営は発売する方がメリットが大きいから、結果として両陣営とも発売し、両陣営ともあまり高くない収益率になる、というわけだ。

理論では、囚人のジレンマは繰り返しゲームによって協調を学ぶことでジレンマを脱すると考える。しかし実際には、なかなか学ぶことは難しいようだ。「いつか来た道」をまた繰り返すのだろうか。

※追記
2005年4月、両陣営が規格共通化をめざした協議を始めるとの報道があった(ニュースはこちら)。繰り返しゲームのルールを思い出した、ということだろうか。ハリウッド側の意向が働いたほか、中国が進めている独自企画の存在もプレッシャーになったらしい。まだどうなるか予断を許さないが、とりあえず歓迎しよう。

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