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December 30, 2004

集中のリスクと分散のリスク

「一つのかごにすべての卵を盛るな」 (Don't put all your eggs in one basket.)ということわざがある。 言わずと知れた、リスク分散の必要性を説く際によく使われる。投資におけるリスク分散の有効性は50年前に近代ポートフォリオ理論として確立する前から「知恵」として受け継がれてきた。保険という制度はこれと同じ効果を金銭のやり取りで代替しようとするものだし、企業でも、社長と副社長は同じ飛行機には乗らない、などというところはたくさんある。

これは「集中」することのリスクだが、必ずしもそういう場合ばかりではない。考えてみればあたりまえのことなのだが、「分散のリスク」というものもあるのだ。

まずは先人の知恵にご登場いただこう。有名なランチェスター戦略では、戦力の逐次投入を戒めている。Googleで最初にヒットしたRushmore UniversityのGlobal Distance Learning DBAコースの大國亨さんのペーパーをリンクしておく。こまごまは省くが、要は戦力で劣っているときには総力戦ではなく、相手勢力を分断してローカルな優位を作り出さねばならず、逆に戦力で優位にあるときは総力戦に持ち込むべきである、といった結論が導かれている。

気づかれたろうか。分散投資の発想とは逆だ。自らの勢力を分散して投入し、全滅のリスクを回避しようなどと考えると、かえって全滅の憂き目に遭うリスクを負う。分散はリスクの源となるのだ。このことは、卵のことわざと同様、昔から知られていた。

この2つは、今までなぜ結びつけて考えられることがなかったのだろうか。簡単にいえば、それは対象とする分野がちがっていたからだ。分散投資は株式など金融資産への投資の際に語られることが多いのに対して、ランチェスター戦略は事業を行うための実物投資などの場合に語られることが多い。

分散投資の発想には、1つの前提がある。「投資のスケールを変更してもその収益率やリスクのプロファイルには影響がない」、つまり投資規模が伸縮可能ということだ。卵の例でいえば、卵を10個持っている場合も、100個持っている場合も、卵の価格には影響がなく、卵が割れてしまう確率も変わらない、ということになる。株式という発想は、企業の持分を分割して売買することを可能にする。株式を全部集めれば、会社全体だ。そうであれば、同じ収益率・リスクの株式をたくさん持つよりも、さまざまな株式を少しずつ持ったほうがいい。

分散投資の優位性を根拠づけた近代ポートフォリオ理論は、その背景として、「所有と経営の分離」ないし「経営者主権」という発想があった。なんだこのことばは、という向きは、昔の経営学の教科書を引っ張り出していただきたい。株式会社制度が成立して以来のコーポレートガバナンスの歴史からいえば、株主の立場が最も弱くなった時代の話だ。企業経営者は優れた能力をもって株主の利益のために企業を経営しているのであり、株主はそれに対して口を出しても経営を改善できない(不満なら経営者を替えよ)、というわけだ。つまり、多数の株式を持って(議決権を握って)も、企業経営のパフォーマンス、つまり株式の収益率やリスクに対してよい影響を与えられないのであれば、その銘柄をたくさん持っている必要はない。

逆に、株主が企業経営権を握って、株式の収益率やリスクに影響を与えることを意図しているとしたらどうだろうか?この考え方からは、分散投資は意味があまり意味がない。資金を分散してそれぞれの投資先において過半数を取れなければ、いずれの企業においても経営権を握ることはできない。それは、株主間の経営支配をめぐる競争において、「勝者総取り」の状況が存在しうるからだ。一般的な投資信託と、バイアウトファンドのようなものとの投資スタイルの差、ということになろうか。

実物投資においては、当該産業において企業間競争があるため、さらに「分散のリスク」は大きいだろう。資金のロットが問題になる度合いがより高いからだ。事業投資を分散させてリスクを減らしたつもりが、経営資源の投入が競争相手に比べて劣っていて充分な競争力を確保できなかったために、ランチェスター戦略さながら、各事業が逐次「全滅」していくのを目の当たりにすることになるかもしれない。

卵の例でいえばこうだ。卵を1つ1つかごに入れておくと、かごを落としたときに必ず割れてしまう。しかしたくさんの卵を1つのかごに盛っておけば、落としたときにどれかが割れずにすむかもしれない、といった具合だ。

・・・あまりいいたとえではないようなので、もう1つ。多くの草食動物は群れを作る。肉食動物に襲われたときは、固まって防御したり、いっせいに逃げ出したりする。こうした行動は、「数」がものをいう競争であることをふまえた合理的な選択だろう。1匹では立ち向かえない相手でも、多数が同時にかかれば(戦力の一斉投入によるローカルな優位だ)撃退することができる。さらに逃げる場合でも、自分たちの数が多いので全部がやられてしまうことはない。群れの大半は生き残ることができるわけだ。

多角化と称して、企業がその本業と全く関係のない分野に唐突に進出するケースが散見される。曰く、資産の有効活用、余剰人員対策、本業の不振を補うため、等々。すべてが問題だというわけではないし、事実成功した例も少なかろう。しかし一般的には、本業と関係ない分野、企業のコアコンピタンスがない分野において、不用意に新規投資を行うことは、リスクの分散というより、新たなリスクの源になりやすいのではないだろうか。

投資規模が伸縮可能でない場合、「勝者総取り」型の競争がある場合には、分散投資はリスクが伴う。考えてみればあたりまえなのだが、とりあえず「分散のリスク」というキーワードを覚えておくと、つまらないまちがいをすることが少しは少なくなるかもしれない。

ちなみに、Googleで検索していたら、足利銀行のサイトに卵のことわざをそのまま絵にした解説があった。文章でもじゅうぶん意味が伝わるであろうことをここまでていねいに説明しようとする「熱意」には頭が下がる。とりあえず卵の絵がなんだか愛らしいのでリンクしておく。

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