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January 08, 2005

暴論:「べき」論の愚

「私たちの社会は○○を××すべき」といった論調をよく見かける。政策論のような話題では必ず出るといってもいい。先日もラジオで環境問題に関するさる講義を聴いていたのだが、講師がさかんに「べき」をばらまいていた。

いいかげんにしてくれ、といいたい。

何に対して怒っているか書いておかないと、誤解を招きやすいだろう。私が聴いていた講義は、環境問題に関して、われわれの社会をどのようにしていくべきかを論じていたのだが、話していたのは次のようなことだ。曰く:

・テレビなど、使わないときは元スイッチも切って待機電力消費を減らすべき
・冷房は高めに、暖房は低めに温度設定すべき
・自動車に乗るときはアイドリングストップすべき
・短い距離なら自動車でなく自転車に乗るべき
・ごみは細かく分別すべき
・グリーン電力料金を支払うべき
・食べ残しを減らすべき
・ものを大事に使うべき
・「もったいない」という感覚を取り戻すべき
その他こまごま、もろもろ。

他にもたくさんあった。いちいちもっともだ。私だってある程度は努力している。家の中ではほとんど暖房を使っていないし(環境問題だけが理由ではないのだが)。

しかし、だ。

皆さんこういう心がけをするといいですよ、といった個人への呼びかけならいい。しかしこれを社会のあり方として論じるなら、話は別だ。「だからどうせいっちぅんじゃい!」と怪しげな方言ふうにすごんでみたくなる。個人の心のあり方、生活のスタイルに対する好みを社会から押し付けることなどできるわけがないではないか。法制化を検討せよとか言っていたが、そもそもなぜまだ法制化できていないのか考えてみるといい。具体化しようとすれば必ず反対が出るのだ。

環境保護対策を社会のあり方として論じるならば、いちいちごもっともな「べき」論より、どうやって人々がそれを受け入れるような方向にもっていくか、そのためにどんなしくみを作り、どんなプロセスで導入していくかという具体論のほうがよほど重要なはずだ。人は、理屈としてわかっていても、面倒なこと、コストのかかることは必ずいやがる。それは当たり前のことで、倫理学の先生ならまだしも、社会における政策や制度の設計をする立場の人ならば、「公徳心がない」などという嘆きはお門違いだ。

さらにいえば、「昔の日本人は」などと持ち出してやみくもに昔を美化するのもやめてもらいたい。昔の日本には確かに意識の高い人たちがいたのだろうが、意識の低い人も山ほどいたのだ。それを言うなら、今だって意識の高い人は山ほどいる。環境問題に関して言えば、昔の人々が環境意識が高かったというより、技術的・コスト的制約から無駄をしないようにしていたという要素が強い。今さら文句をいうつもりもないが、そもそも今ある問題のうち少なからぬものは、昔の人たちのやったことの尻拭いなのだ。それに、今の大人たちの公徳心が足りないというなら、まずその大人たちを育てた上の世代の教育の誤りを指摘してもらいたい。

ともあれ。

具体的に変化をもたらすためのやり方をきちんと示すのがプロだ。それ抜きに「~べき」とかいわれても、机上の空論でしかない。そういう口先の理屈は時間の無駄であるだけでなく、結果として議論が堂々巡りになってかえって事態の打開を妨げるという点で、有害であるとさえいっていい。

環境問題への対策を具体的に考えるなら、税制のあり方、法律や条例、制度の構築、教育、リサイクル施設の建設、新しい技術の研究開発など、やるべきことはたくさんあるが、何にも増して重要なのは、そのためのプロセスとコスト負担に関する社会的合意だ。全員がハッピーになる選択は、ほぼないといっていい。当然、最終的には、社会セクター間で、あるいは世代間で、「誰が何のコストをどう負担するのか」を決める必要があるのだ。誰だっていやな話だが、これがなければ前には進まない。ときには妥協も必要だろう。100の成果が達成できないなら0のままでいいのか、それともせめて50や60をめざすのか。いやしくもプロを名乗る者は、「べき」論をやっている暇があったら、もっと具体論に時間を割いてほしい。街の評論家が居酒屋でくだ巻くような議論はいいかげんにしてもらいたい。

…というような話を居酒屋でして盛り上がった。自分のことを棚に上げて人を批判するのはなんと簡単なことか。「日暮れて道遠し」とはこのことだ。情けない。「プロ」の方々、がんばってくれ。

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Comments

あー、私もよく使っちゃいます。そういう方面のプロじゃないですけど。
尤も、「反対者は常にいる」ということは理解したうえでつかってますが。

云うは易し、行うは難き。

ってやつですね。

Posted by: masamic | January 08, 2005 08:07 PM

コメントありががとうございます。「常に当事者である」というのはなかなか難しいですね。自戒の念もこめて、ということです。

Posted by: 山口 浩 | January 09, 2005 11:15 AM

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