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January 10, 2005

「人間性はどこから来たか:サル学からのアプローチ」

西田利貞「人間性はどこから来たか:サル学からのアプローチ」。京都大学学術出版会、1999年。

「へえ」ボタンを連打した後、うーんと考えさせる。そんな本だ。人間を知りたければ、まずサルから始めよ、というわけで。内容は専門外の者にはそれなりに高度だが、学部学生向けの講義録が元だそうで、ついていけないということはない。お勧め。

本の帯にはこうある。

家族・社会・協力・闘争・和解・文化・言語…… 「人間らしさ」といわれるものは 進化の中でどう生まれたのか? 現代社会の諸病理―戦争や環境破壊、文明病等々―の解決のために、人の原点を知る

面白そうではないか。興味をそそるではないか。これはきっと何かおいしいネタがある、と私のゴーストがささやいたわけだ。そしてその期待は、裏切られなかった。専門家の見解は知らないが、私としては、めちゃめちゃ面白かったのだ。

本書は、人間が原始の本能を残しており、それゆえに現代文明に適応しきれないことがさまざまな問題の原因となる、という指摘から始まる。肥満も、月経前症候群もそうだという。要するに、人間はまだかなりの部分ご先祖様から受け継いだものを抱えている、というのが主張だ。以下、社会の起源、互酬性の起源、家族の起源、攻撃性と葛藤解決、文化の起源、言語の起源、知能の進化、初期人類の進化、と続く。

たとえば第6章「家族の起源」のところでは、男女の問題が多くとりあげられている。男女の行動における性差の大半は、霊長類のころすでにあったものと、狩猟採集時代に獲得したものとで説明できるという。フェミニズム関係の方なら目をつり上げそうな説明だが、生物としての平均的な傾向についての話だから、文句をいうのは筋違いだ。

チンパンジーでみると、次のような特徴があるという。人間の場合とかなり似ているように思う。

・オスはメスより行動範囲が広い。
・オスはメスよりよく肉を食べる。
・メスのほうが道具を使うのは得意である。
・オスはメスよりよく狩をする。

このあたりでは「ふうん」という感じだろう。肉体的形質のちがいからくる要素がかなりあるだろうから、納得感が強いかもしれない。しかしこの先はどうだろうか。

・交尾と食物の交換行動が見られる。すなわち、大人のメスは、ふだんよく肉の分配をしてくれるオス、よく毛づくろいをしてくれるオスと、独占的・排他的に交尾を行う傾向がある。

このあたりは抵抗感を持つ人が少なかろう。しつこいようだが、「人間が個人としてどうあるべき」とか「社会をどう設計すべき」とかいった議論とは無縁の内容だ。誤解なきよう。

一方、人間と他の霊長類との相違点も指摘されている。

・一般的に、オスがメスより大きいほど、一夫多妻の傾向がある。しかし人間では、体格差がかなりあるにもかかわらず、少なくとも多くの社会では一夫一婦制が多い。
・一般的な霊長類のメスは排卵を外部に示すが、人間は隠す。グループ内でのメスをめぐるオス同士の摩擦を避けるためらしい。社会性が発展する中で身につけた性質とのことだ。あるオスからエサなどの便宜を受けつつ、他の(優れた形質の)オスの子を産むことで自らの遺伝子の存続をはかるという戦略らしい。

一夫多妻制については、著者は人間でもかつて一夫多妻制が広くみられたことを指摘している。つまり一夫一婦制は、新しい習慣だというわけだ(今のホモ・サピエンスになる前ではあるらしい)。ただし一夫一婦制は、サルとのつながりを考えれば、1人の配偶者と生涯添い遂げることを意味するわけでもなく、むしろ婚外関係の存在を前提としている、との趣旨と理解した。

こういう部分だけをみると、いろいろいいたくなる人もいるだろう。とりあえず待ってほしい。本書は、人間行動をなんでもかんでも動物行動学や遺伝学などで説明できるとする某女史のトンデモ的著作とはちがう。本書の分析はより慎重かつ誠実だ。長くなるので紹介しないが、上記は本書のごく一部で、他にも面白いところはたくさんある。この本を執筆した動機を、著者は本書の終わりに書いている。引用してみる。

本書を出版する動機は、「人間は文化の産物であり、教育によってどのようにでも変えられる」という考えが、あまりにも根強くはびこっていることにある。…人間がいかようにでも変わるという思想は、なぜ問題なのか?進歩思想と結びつくからである。文明病患者や文明への精神疾患者に対して、単に進歩に追いつけない不適応者という烙印を押すだけだからだ。熱帯林破壊や海洋汚染などの環境破壊も、この思想によって推し進められているからだ。…私は、こうした「進歩思想」に対しては、生物人類学者の立場から異議を唱えたかったのである。

人間は動物とはちがうという発想、それはもちろん重要だ。人間を人間たらしめたものがあり、それを大切にすべきというのもわかる。しかしだからといって、私たちが動物であることを忘れてはいけない。生物としての人間は今もゆるやかな進化プロセスの途上にある。そのスピードは私たちの文明の発展や文化の変化よりはるかに遅い。人間には、理屈上はできるはずでも、実際にはできないことがあるのだ。動物であることを忘れた議論は、空疎であるだけでなく、有害でもある。耳の痛い人々もいるのではないだろうか。

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Comments

古い本ですが、デズモンド・モリスという人の「裸のサル」という本のことを思い出しました。ご紹介の本に目を通していないので自信はありませんが、なんとなく、その本の続編、という感じがしました。こっちの本の方は、「人間とは、毛の生えていない、ハダカのサルである」という仮説を立てて話が進んでいました。知能は非常に高いものの、毛が生えていないことで体温調節もうまくできず、成人になるまでの時間が霊長類のなかでも極端に長い、ある種、弱点をたくさん抱えた動物である、というニュアンスがあったように記憶しています。

Posted by: miyakoda | January 11, 2005 10:50 AM

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