もし著作権が昔からあったら
ふと気になった。著作権だけでなく、知的財産権と呼ばれるもの全般についてだが、もしそういうものが昔からあったら、どうなっていただろうと。
たとえば著作権。著作権はいつごろからあるのだろうか。Wikipediaでみてみた。日本の著作権法は、1899年に制定された(いわゆる旧著作権法で、今のものとはちがう)。1886年のベルヌ条約へ加盟するために国内法が整備された、ということらしい。ただしそれ以前から1887年の版権條令、1893年の版権法などがあり、一部の著作権については保護されていた、とある。ではそれ以前は?と思ったら、産業医科大学作業病態研究室のサイトに、「名和小太郎先生講演 平成9年1月25日」というファイルがあった。みると、著作権の歴史の最初に書いてあるのは、グーテンベルグ聖書だ。それと、15世紀のヨーロッパで、出版特許、といったものがあったらしい。英国で著作権法が制定されたのは1709年、とある。
では特許権などはどうか。特許庁のサイトに解説があった。これもどうも15世紀あたりにさかのぼるらしい。ベニス共和国で、1443年に発明に対して特許が与えられたとされる。1474年、世界最古の成文特許法として「発明者条例」が公布された由。イギリスで1624年に制定された「専売条例」が、今日に至る特許制度の基本的な考え方を明確化したものとされる、ということらしい。
とはいえ、こうした時代は、実際には知的財産権として保護されるものはごく少数で、大半はコピーし放題 だったはずだ。多くの才能ある人々が、その創意工夫に対して正当な見返りを受けることなく、不遇にあえいでいただろう。今や知的財産権制度は少なくとも先進国ではほぼ確立され、権利者は保護されるようになった。まだ確立していない一部の国は問題だが、やがて経済が発展するにつれ、次第に解消へと向かっていくだろう。めでたしめでたし。
となればいいのだろうが、果たしてそううまくいくか。
ほとんどの創意工夫は、それまでの蓄積の上になされる。つまり、まったく「オリジナル」のものなど、世の中にそうたくさんはない、ということだ。そしてかつては、それら「先人の創意工夫」の大半は、無償で使用できた。すぐれた芸術作品はさまざまにコピーされ、改変され、翻案されて、現在の芸術の礎となっている。すぐれた発明やデザインも、いろいろな人がそれぞれ工夫を加え、だんだん改良されてきたのだ。いわば元のアイデアを出した人が承諾しているかどうかは別として、その発展の過程はオープンソース的といっていい。
もしそれらすべてが「権利付き」であったとしたらどうだろうか。
もちろん知的財産権には年限がある。それを過ぎればパブリックドメインに移行する。そうなれば自由に利用できるから問題はないではないか、という気もしなくはない。しかし、それは逆に「権利が切れるまでは利用できない」ことを意味する。ということは、権利の保護があることによって、進歩や発展がそうでない場合に比べて格段に遅くなってしまう、ということはないのだろうか。今のところ、そういった状況は特にないようにも思われるのだが、長い目でみたときにはどうか。昔に比べて、さまざまなものごとの進歩が早くなっているとしても、果たしてそれは知的財産権の保護に起因しているのか。
コピーレフト的な考え方を主張するものではない。ないのだが、どうしても気になってしまう。
※追記
McDMasterさんのblogでとりあげていただいた。ご自身のblogをクリエイティブコモンズにしたがってライセンスされているぐらいの方なので、ご関心の深いテーマなのだろう。ネットの世界では、知的財産権保護の強化を訴える方とオープン化のメリットを説かれる方の2通りいらっしゃるが、どちらが多いのだろうか。正直なところ、自分自身はどっちつかずで宙ぶらりんになっているところがある。どなたか実証研究していただけると納得しやすいのだが。
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Comments
やまぐちさん、こんばんわ、
先ほど子どもと百人一首をやっていて、知的財産の保護が万葉のころにあったら、成立し得ないんだろうなと考えていました。歌人といっても歌を売って生活をたてていたわけではないんですよね。でも、1000年後の世にもこうして残っているというのがすごいなと素朴に思いました。著作権の保護などなくとも残るものは残るわけですよね。
科学の原理といったものも著作権、知的財産といったものがないから、あるいは期限が切れているからこそ進歩発展があるという側面があるように思います。
Posted by: ひでき | January 16, 2005 09:40 PM
コメントありがとうございます。
いわれるとおりです。百人一首もそうですが、著作者の許諾、著作権料の支払いが義務付けられていたら、古典の大半は今の世に残っていなかったのではないか、という気がしてなりません。
バランスの問題だろうということはわかっているのですが、どうも権利保護が強まっていく方向のほうが威勢がいいように見えて。
法律を変えてまで生き残っているミッキーマウスがパブリックドメインに移行する日は果たしてくるのでしょうか。
Posted by: 山口 浩 | January 17, 2005 09:10 AM