ヤな奴の本を読もう
詳細は略すが、最近あることで恥をかいた。あるところで知った、私にとっては目からウロコが落ちる革新的な事実が、どうも以前から巷ではけっこう知られていたようだったのだ。
自分の専門分野ではないので、実害がある話ではないのだが、考えるきっかけになった。
その事実は、話のネタとしてとても面白いように思われた。で、幾人かの人に話してみたら、たて続けに「あーあれね」と言われてしまったというわけだ。どうも、私がきらいなある人の著作に出ていた話らしい。
こういうこと自体はよくあることだが、ふと気づいた。その人の著作を毛嫌いして読まなかったために、自分がとても面白いと思ったことを長い間知りそびれていたのだ。これは結果として、自分自身にとってよくない。ヤな奴の本も、読んでみるべきなのだろう。
考えを発展させると、むしろヤな奴の本こそ読まなければならないのかもしれない。その人の本がきらいなのは、いいかえれば、自分と似た関心をもっているということだ。それが「東南アジア・南アジアの赤道域における沿岸性甲殻類の生物地理とその成立過程に関する研究」などというものであったら、そもそも私は関心をもたなかったろう(これは実在する論文のタイトルを少しだけ変えたものだ。論文自体をどうこういうのではなく、「私には関心のないテーマ」の例として使った。著者の方、ごめんなさい)。しかし、自分と似た関心を持つ人であれば、その書いた内容は、自分の関心事についてのものだろう。しかもそこには、それまで「きらい」という理由で自分がふれてこなかった、新しい事実、新しい見方が提示されている可能性が高いのだ。
自分の専門分野なら、好ききらいなく必要なものは読まなければならないが、そこを少しはずれると、やはり好ききらいで選んでしまうことが多い。しかしそれらを排除してしまうことは、なにより自分自身にとって損だ。わざわざ好き好んで気分の悪くなるものを読むというのもどうかとは思うが、もし気に入らなければ、ケチをつけたり笑い飛ばしたりしながら読めばいい。
とはいえ、ヤな奴の本に金を払うのもしゃくだ。どうしたものか。
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Comments
アタシの場合。
「ヤな奴だけど金払う価値のある(と思う)本」に関しては、本屋さんで買います。
「ヤな奴で内容にも金を払いたくない本」に関しては、中古市場で買います。
「すごく好きなヒトの記事だけど、雑誌自体は好きじゃない」場合は立ち読みで済ませて、
単行本化したらちゃんと買おうと思います。
……という風に一応は区分ができていたハズなんだけど、最近では「ヤな奴で金を払いたく
ないから中古で買おうと思ったが、ブックオフにも金を払いたくない」と思うようになり、
たいへん困りました。なのでそんな時は、Amazonのマーケットプレイスを利用するように
しています。送料も負担しなきゃいけないので(下手したら定価より)割高になるんですが、
それでも落とすべきところにお金を落としたいと思ってしまいます。
我ながら、やっかいな性格で困っちゃう。
Posted by: ドリ | January 22, 2005 04:10 PM
ドリさん
私の場合、ヤな奴の書いたものの価値を認めること自体がけっこう難しくて。
そういう意味で、ブックオフにはずいぶんお世話になってます。本屋から消えた古い本を見つけることができるし、100円なら捨てたつもりで払えるので。
Posted by: 山口 浩 | January 23, 2005 09:29 AM