« やや暴論ぎみ:議員年金制度について | Main | テレビCMについての若干の思いつき »

January 24, 2005

「リンクを切らさない」のはマスコミの社会的責任ではないか?

何かものを書くとき、インターネットでニュースなどの記事を検索することがよくある。ところが、せっかく検索してヒットしても、リンクが切れていることが少なくない。趣味でやっている個人サイトがページを削除したりするのは、まあしかたがないとして、マスコミがこういうことをするのはいかがなものか、と思う。

といった恨み言をひとくさり。

特にひどいのがテレビ局など、放送関係のサイトだ。たとえばGoogleで「新潟県中越地震」と入れて検索すると、最初に出てくるのは「新潟県中越地震のニュース検索結果」だ。ここでみると、2ページめ4番め、NHKの2005年1月9日付「新潟県中越で震度4の地震」は、もう記事が削除されている。同様に1月12日付TBSの「新潟県中越地震の被災地も大雪に」もリンク切れだ。今1月22日だが、10日前の記事はもう存在しなくなっている。これはあんまりだと思う。

新聞にしても、しばらくたった記事は有料アーカイブへ移行され、一般には見えなくなる。これもどうかと思う。費用を負担する希望者にはちゃんと公開しているから責任は果たしているという考え方はありうるのだろうし、経営上の観点からみても、マスコミにとって大きな経営資源である過去情報のストックを有料で売るビジネスモデルは理解できなくもない。しかし、かつてあったリンクが切れてしまうにはちがいないわけで、事実上リンク切れと同じだ。情報同士がつながったネットワークが全体として価値を持つこのインターネット時代には、この問題はもう少し真剣に考えてもいいと思う。

他人の言説を引用したり、出典のみを挙げておいてあとは読者に任せる「従来型」のコミュニケーションとちがい、ネット時代にはリンクやトラックバックなどによるコミュニケーションが多く行われる。この場合、他人の言説を自分の言説の一部として使うことをお互いが(暗黙的にでも)了承しているわけだが、その裏には、そのリンクなりトラックバックなりのつながる先の情報がみだりに削除されたりしないことが期待されていると思う。昔はリンクを張るためにいちいち相手先の了承をとるのが当たり前だったが、今のトラックバックはそれを不要とした。ある意味でネットコミュニケーションにおける「慣行」が(少なくとも一部で)変わったわけだ。

これを前提とすると、自分の言説の一部に取り入れた他人の言説が勝手に消え去るおそれがあるのならば、自分の言説の内容を保つために、リンクやトラックバックに頼った方法を危険だと感じる人がいても不思議はない。以前「週刊!木村剛」で、引用に関するローカルルールやその運用のしかたが批判にさらされたことがあった。その論争自体についてはあまり興味がないのでコメントする気はない。しかしおそらく、自分の言説のクォリティを、そこに取り込んだ他人の言説分まで含めて保とうと考えるかどうかについて、リアル派(紙媒体が主)のプロの物書きである木村氏と、ネット派のアマ物書きであるbloggerたちとの間には、差があったのだろうとは思う。(注:木村氏の「全文」を引用したスタイルが必要かという点、独特のローカルルールを設けた点、blogでなくドンキホーテのプレスリリースを全文引用した点などについては別の問題がありうる。これらについては繰り返すがコメントしないし、議論を蒸し返すつもりもない。)

マスコミの話に戻す。サイトの容量に制約があるのはわからなくもないが、いったん報道機関として提供した情報をすぐにひっこめてしまったのでは、利用しようがない。要は、マスコミとして、新たな情報を提供することと、情報を提供し続けることは、等しく重要な社会的責任ではないのか、といいたいわけだ。マスコミは、「報道の自由」の担い手としてある種の「特権」を享受している。それならそれなりの社会的責任があるはずではなかろうか。

とはいえ、マスコミとて商業サービスであることは変わらないし、あまり無理もいえないか。まあ、要はそういうページが検索の上位にくるからおかしくなるわけだ。マスコミに期待してもはじまらないとすれば、Googleはじめ検索エンジンを開発される皆さんにお願いするしかない。「情報をいかに保ち続けているか」を、検索結果の表示の際の優先順位を決める要素に入れてもらえないか。検索結果が記事削除で見られませんでしたというのでは、検索エンジンとしても「責務」を果たせなかったことになる。そういう回数を数えていって、多いサイトは下の順位に下げるというかたちでペナルティを与えれば、とりあえずユーザー側からみた使い勝手は大幅に向上する。それに、もしサーチエンジンがこういうしくみにすれば、SEOを考える報道各社は、ネット世界における「覇権」を求めて、記事を削除しないようになる。記事を削除する報道機関は次第にその影響力を低下させていき、やがてマスコミのビジネスモデルは変わり、世代交代が起きる・・・なんてことはないか。だめ?

※追記
ズコウ4」さんから、共同通信の記事がよく削除されているとの情報あり。私は放送局ばかり気にしていたが、そういうのもあったか。通信社というのはいわば「卸売り」だから、ひょっとするとコスト以外に「小売り」との競合を避けるという理由でもあるのだろうか。

|

« やや暴論ぎみ:議員年金制度について | Main | テレビCMについての若干の思いつき »

Comments

わたしはリアルでのもの書きですが、木村氏のやり方には反対しています。新聞社が記事を残さない問題と、木村氏の「安倍ぬすみ主義(いいとおもったから自分のものにしました)ジャイアニズム(おまえのものはおれのもの、おれのものはおれのもの)」は切り離して考えるべきです。

Posted by: 松永英明 | January 24, 2005 09:44 AM

コメントありがとうございます。
「木村氏のやり方」の是非については、本文にも書きましたがここではコメントしません。似た要素を感じ取った、というのが意図ですが、切り離すべきというご意見もわかります。
蛇足ですが。芸能人の固有名詞を改変して使っておられますが、確かこの人は反省して謹慎中と聞いています。わざわざここで持ち出して傷口に塩を塗る必要はないと思いますし、名前を改変してあざけるようなやり方は私の趣味ではありません。

Posted by: 山口 浩 | January 24, 2005 12:27 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「リンクを切らさない」のはマスコミの社会的責任ではないか?:

» [コンテンツ視聴環境雑感] 共同通信系の記事が消えていることが多くてイライラする。 [ズコウ 4]
ソースというか証拠というか、そういうものを用意する事は出来ないが、共同通信系サイトの記事が消えている事が多い。 ==== 私は情報収集の方法の一つとし... [Read More]

Tracked on January 24, 2005 08:40 AM

» リンクの寿命 [ウェブログ図書館 業務日誌 Weblog(Blog) Library]
 山口浩さんのH-Yamaguchi.netで興味深い指摘があったので、それに関して私も一言。  「リンクを切らさない」のはマスコミの社会的責任ではな... [Read More]

Tracked on January 24, 2005 10:34 AM

» リンクの社会責任 [鳥新聞]
h.yamaguchi.netに「リンクを切らさない」のはマスコミの社会的責任ではないか?という記事があった。 何かものを書くとき、インターネットでニュースなど... [Read More]

Tracked on February 14, 2005 12:02 AM

« やや暴論ぎみ:議員年金制度について | Main | テレビCMについての若干の思いつき »