コンテンツ世代間競争
2005年1月28日付日本経済新聞に、コンテンツ産業の規模が縮小している、との記事が出ていた(このあたりを参照)。
総務省情報通信政策研究所の調べで、映画や音楽、漫画など様々なメディアで流れるコンテンツ(情報内容)市場の縮小が続いていることが分かったらしい。2002年の国内市場規模は約10兆8,000億円で、1996年に比べて約7,000億円も縮小した。若年層の所得減少や音楽ソフトの不正コピー増加などが要因とみられる由。
情報通信政策研究所の調査では、市場規模は各業界の統計データを加工して算出したとのこと。2003年の市場規模は集計中だが、前年と同様の傾向となる見通しだそうだ。映画や放送番組など映像系コンテンツ市場は4兆8,000億円と、1996年に比べて3,000億円拡大した。だが、音楽コンテンツは9,000億円と、1996年に比べ2,000億円減少している。新聞や雑誌などの市場は5兆1,000億円であり、6年間で9,000億円も縮小したという。
現物が手元にないのでネットに出ている記事などからみると、デジタルコンテンツ協会のまとめた「デジタルコンテンツ白書2004」では、2002年の日本のコンテンツ産業の市場規模は12.7兆円となっている。上記の調査との間に差があるようだが、まあそれはとりあえず措いておく。気になるのは次のようなくだりだ。
コンテンツ市場は、全体としては縮小傾向が続いているが、映像作品をビデオ化して販売したりケーブルテレビで再放映するなどの二次利用の市場は、1兆9,000億円と1996年からくらべ5,000億円増加した。今後はブロードバンドで映画やゲーム、音楽の配信を行う動きが活発化するものとみられる、という。
何が気になるかというと、新規製作のコンテンツと既存の二次利用コンテンツとの間にカニバライゼーションが起きるリスクが現実化しているのではないか、ということだ。ニュースでは、コンテンツ産業の規模が縮小する中で二次利用市場が拡大している、としている。もしこれが本当だとすると、既存コンテンツが新規コンテンツをクラウディングアウトしていることにはならないか。何しろ2次利用コンテンツは安いし、そもそも人々が使える時間は変わらないのだ。
このような、コンテンツが次第に蓄積され、古いコンテンツの再利用が進むことにより、新しいコンテンツの市場が縮小しているのではないかという懸念は、他のエンタテインメントの世界でもみられるように思う。たとえばクラシック音楽だ。バイオリンやフルートといったクラシック向けの楽器を使い、一定の様式にしたがって作られた、いわゆるクラシック形式の音楽においては、市場全体の規模はともかく、新たな楽曲の供給はあまり多くないはずだ。なぜか。歴史の風雪に耐えて生き残った珠玉の名曲が目白押しであり、それらに勝てる新たな楽曲がなかなか生まれないからだ、とはいえないだろうか。ひょっとすると、あらゆる伝統芸能において、程度の差こそあれ同じような問題に直面しているのではないかと想像する。
これを敷衍して考える。現在あるかたちの「コンテンツ」なるもの全体が「クラシック」化を始めている、ということはありうるだろうか。つまり現在あるコンテンツジャンルの中で、新しく製作されるコンテンツと、古い既存のコンテンツとの間で「世代間競争」が起きているのではないか、という懸念だ。この競争においては、「徴兵されたばかりの新兵」に比べて「百戦錬磨の古参兵」が有利と考えるほうが自然だ。しかも既存コンテンツの蓄積が進むということは、質だけでなく量の面でも、「古参兵」のほうが「新兵」を圧倒することになる。
この状況が変わるのは、状況が一変して、まったく新しいコンテンツのジャンルが生まれるときだろう。クラシック音楽に対してロックという新しい音楽が生まれ、大きく成長したのと同じようにだ。そして時間がたつとロックも「クラシック」化し、既存コンテンツの力が相対的に増していくことになる。こうしたプロセスを繰り返していくのかもしれない。とすると、現在あるコンテンツ産業の将来は、少なくとも作り手にとってあまり明るいものではないことになってしまう。うーん、どうなんだろうか。
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