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January 02, 2005

暴論的税制論:政府に「投資」するという発想

私たちが政府に対して持つ不満のうち最大のものは、思い切り独断だが、「政府が我々の税金を無駄遣いしているのではないか」という点にあると思う。これは週刊誌が大好きなネタだが、そのことはもとより国民の関心が高いことを反映している。昨年最も多くとりあげられたのは、やはり社会保険庁だろうか。税金とはちがうが、年金保険料でマッサージチェアを買っただのミュージカルを見ただの、さまざまなことがとりあげられた。

「無駄遣い」そのものを糾弾するのはそれら週刊誌のゴシップ屋さんたちに任せて、少し別のことを考えてみる。
世間的には暴論なのだろうが、本人としてはけっこう建設的なつもりの、ただの思いつきだ。

はじめに脱線しておく。正直な話、「年金保険料でマッサージチェア」云々の批判は、お門違いではないかと思う。どうも憤慨する方々は、「年金保険料は年金給付のためだけに使え」といわんばかりの態度だ。しかし事業を維持するためには、さまざまなコストが必要だ。民間の保険会社を考えてもらいたい。保険会社の多くは有名リゾート地に従業員向けの保養所を持っているし、福利厚生のためにスポーツクラブの会員権なども持っていたりする。これらは当然ながら、保険料収入とその運用益から出ているわけだ。このような収支構造は銀行だって証券会社だって同じだし、一般事業会社もそうだ。従業員の福利厚生は、それが適切な範囲である限り、支出の目的としてなんら恥じるべきものではないはずだ。採算など期待しようもないリゾート施設を乱立させたことは確かに問題で、おおいに批判すべきだが、マッサージチェアやミュージカルのチケットが年金財政にどの程度の穴をあけたというのか。「百年の計」で議論すべきなのは、年金制度そのものと、それを所管する組織の設計だ。適切に設計された組織であれば、こまごました支出項目については自律的なチェックがはたらくようになる。言っちゃ何だがそうした「小さな」ことを大騒ぎするのは、本質から目をそらしてしまい、問題の解決にとってかえって障害になるのではないかと危惧する。

閑話休題。ここからが本題。

実際のところ、税金の大半は、無駄遣いされているわけではない。確証はないのだが、政府がしている仕事の大半は、我々の生活に欠くことのできないものだと思う。目に見える部分だけでいっても、近所の交番のおまわりさんやら災害救援に活躍する自衛官やらの給料を減らせと叫ぶ人はそう多くないのではないか。無駄といわれる公共事業だって、その大半はどうみても必要なものだ。地震でこわれた道路をそのままにしておけという人はいないだろう。

にもかかわらず、税金を無駄遣いされているのではないかという不満は強い。マスコミの皆さんの「奮闘」もあって不適切な使い方ばかりが目立つためでもあるが、これまた独断で分析すると、次のような要素もあるのではないか。

(1)払うと返ってこない
年末調整その他による「還付」は除く。これは「納める」側の理由によるものであり、「使う」側のパフォーマンスに起因するものではない。国側が効率的な支出のためにどの程度がんばっているのかは、まったくわからない。

(2)使い道をコントロールできない
税金の使い道については、選挙によるコントロールがあるということに原理上はなるのだが、隔靴掻痒というか、自分の意思が反映していると感じる人はほとんどいないだろう。

このあたりかなり強引な論理展開だが、まあお許し願いたい。そこでだが、税金の一部を「政府への投資」のようにすることはできないだろうか。

政府に払った税金は、将来国の発展やら安全やらというかたちで返ってくることが期待される。その意味ではすでに一種の「投資」であるわけだが、いかにも間接的かつ不確かだ。企業の株式に投資した場合を考えると、将来的に実現するかもしれないキャピタルゲインに加えて、配当という現金でのリターンがある。これに似たしくみを作ったら面白くないだろうか。

たとえば:
(1)予算をうまくやりくりして予定より安くおさめたら、その一部を返還する
(2)インフラ投資が功を奏して予想以上に税収があがったら、その一部を返還する
といったしくみだ。返ってこないと思っていた税金が一部でも返ってくると、額の多少にかかわらずうれしいものだ。適切な支出に対する不満は大幅に少なくなるのではないかと想像する。この場合、それを実行する役人にも見返りがあっていいと思う。安くすんで浮いた資金の一部は公務員のボーナスに回すといい。その分ふだんの給与を安くするという方法もある。また、国への投資というと国債が頭に浮かぶが、国債のクーポンに「業績連動型」の要素を付け加えたらどうだろう。

また、分野を特定して税金を集めるという手法も、もっと考えていいかもしれない。一定の限度を設けて、税金の支払い先を選べるようにするのだ。うまく税金を使う機関にはより多くの税金が集まるようなしくみだ。事業性の高い分野には、ある程度向いているやり方ではないかと思う。

これらは、いってみれば国家財政に企業財務の考え方を導入するという発想だ。国に「投資」してリターンを得るという発想、国が「プロジェクトファイナンス」で資金を調達するという発想は、可能性として考えてみてもいいのではないか。

国の政策の中にはこうした考え方になじまないものが多くあるのはわかる。現在のような税収不足ではそもそも返還などありえないのかもしれないし、こうしたしくみを作るだけで税金の無駄遣いを防げるほど甘くもないだろう。しょせんほんの短い時間で考えた思いつきにすぎない。ただそれでも、今のやり方では税金を払う側に納得感があまりないことは明白だ。国の予算において、一部「競争的な資金」を入れることが、決定的な問題を生じさせるとまでは思わない。

何か1つのやり方がうまくいかないと思われるとき、解決策は多くの場合、その隣接・近隣領域にあったりする。政府のやり方に対する代替案として民間のやり方を提唱するのは今の時代の「はやり」でもあるのだが、そうした軽薄な理由ではなく、よりよいやり方を謙虚に探すという意味で、民間のやり方を取り入れる余地はないか、長期的な視野で考えてみるのも悪くないと思う。

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Comments

明けましておめでとうございます。

私も少し想像してみました。
投資、というと当然、競争になりますね。各省庁が投資対象のプロジェクトを立ち上げるといった場合、省庁ごとに投資案件を国民に対して公開するとしましょう。

どの省庁の投資案件がいちばん利益に結びつきやすいのでしょうか。

やっぱり建設関係でしょうか。厚生関係では、薬の開発援助などに関連している領域がいい感じかも。

他の国でも似たようなことをやりはじめたりすると国際間の競争もありそう。日本の建設関係プロジェクトよりも、中国の土木工事関係に投資したほうが効率がいい、とか。

グローバルに見たときの日本の投資価値、って、かなりこわい、のかも…。

Posted by: miyakoda | January 02, 2005 02:22 PM

>他の国でも似たようなことをやりはじめたりすると国際間の競争もありそう。日本の建設関係プロジェクトよりも、中国の土木工事関係に投資したほうが効率がいい、とか。

こういう発想でのODAって、今後けっこう可能性があると思うんですけどね。「国益とは何か」について、いろいろ議論したほうがいいかもしれません。

Posted by: 山口 浩 | January 03, 2005 05:58 PM

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Tracked on January 09, 2005 01:15 AM

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