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February 17, 2005

改革は「独裁者」に、というやり方

本サイトでは、けっこう意識して、自分の政治的な主張を打ち出すことは避けるようにしている。いろいろ理屈をつけられなくもないが、一応実名だし、あまり面倒くさいことは避けたいというのが本音だ。

ただ、政治というのはなかなか面白いものだと思うことがあったので、取り上げてみたい。問題を思い切り単純化・抽象化して、書いてみる。特定の政治的問題に関する状況を思い起こさせるかもしれないが、たぶんそれは「誤解」だと思うのでよろしく。

勢力のある1つのグループがある。グループのリーダーは、その構成員による選挙で選ばれた。任期はあるが、その気になれば、グループの構成員の総意によって、任期前でも辞めさせることは事実上可能だ。しかし、実際にはそうはなっていない。リーダーは、その改革志向によって、かげりは見えるもののグループ外の幅広い人々の支持を受けているからだ。このグループの勢力は、究極的にはグループ外の人々の支持に依存する。したがって、勢力を保つために、このグループはこのリーダーを必要としているのだ。

グループのリーダーは、かねてよりある構想をもっていた。社会全体の現状を大きく変えることになる「改革」だ。当該領域に問題があるということ自体は、社会の中である程度の合意ができている。しかし、その対処の方法についての意見は分かれている。何より、それを実行することで、グループの有力な支持者たちの一部が大きな不利益を受けるものと予想されている。それゆえ、これまで誰も手をつけられない問題だった。

グループ構成員のほとんどは、当該改革案には反対している。基本的方向性には賛成だが具体的な進め方がまずいという反対論と、基本的方向性自体がだめだとする反対論の2通りがあるが、本音は上記のとおり、その改革案が、当該グループの有力な一部の支持者層に大きな不利益を与えるからという要素が大きい。

さて、ここで面白いのは、このグループ構成員とリーダーそれぞれのとる戦略だ。まず構成員だが、彼らは相矛盾した状況にある。

改革に反対するグループ構成員たちは、有力な一部の支持者層に配慮して改革反対論を唱えているが、あまりそれが過ぎると、グループ外の幅広い層から「改革に抵抗する勢力」とのレッテルを貼られ、グループへの支持が失われてしまうのではないか、とおそれている。しかし逆に、グループ外の幅広い層へのアピールを狙って改革案に賛成すれば、少数だが有力な支持層からの支持を失う。要は、どちらに転んでも勢力弱体化のリスクがあるのだ。

つまり、このグループの人々は、この改革案に対してはっきりした態度を打ち出しにくい状況にある。
さて、どうするか。

ここでポイントになるのが、改革推進をおおっぴらに標榜するこのグループのリーダーの存在だ。しかもリーダーは任期を明らかにしており、任期満了で退任することがわかっている。そこでこのグループの人たちは、リーダーとの「対決姿勢」をうまく使おうとする。

グループの構成員は、リーダーの改革案に対して反対の意見を述べる。しかしそれを押し通して全面対決することはせず、議論をしたうえでなんらかの妥協点を見つけ、賛成しようというアプローチをとる。一方リーダーは、強硬な態度を崩さない。グループ構成員の意見は聞かず、改革案を押し通そうとする。構成員はリーダーを「独裁者」と批判するが、その抵抗は限定的であり、結果として事態はリーダーの方針に近い線で進展していく。最後の局面になってやっとリーダーも妥協の姿勢を示し、ある程度のところで合意する。

こうすることの何がメリットか。グループの構成員は、改革が実行され、有力な一部の層に不利益が生じることを、このリーダー1人の責任にすることができる。リーダーが「独裁者」でグループのいうことを聞いてくれなかったと。しかし同時に、「自分たちは独裁的なリーダーに抵抗し、ある程度の妥協を勝ち取った」と有力な一部の支持者層を説得することもできる。しかも改革を曲がりなりにも実行したことで、グループ外の幅広い層からの一定の支持も期待できる。

一方リーダーも、「抵抗勢力」に負けず改革を実行したというそれなりの名声を得ることができる。任期満了でリーダーの職を辞することにより、この対立関係は終了し、また仲間に戻る。リーダーが「独裁的」な態度をとるのは、グループ構成員のことを考えていないからではない。むしろ逆だ。彼はグループ構成員の考え方や行動パターンを熟知している。すなわち、「独裁者」としてふるまい反対派の批判を一身に受けることが、彼に反対するグループ構成員を外部の批判から守り、有力な一部の支持者層への言い訳を与えることであり、したがって彼らにとってむしろ必要であるということをわかっているのだ。

ある意味、なんとも絶妙な「役割分担」である。示し合わせているとまでは思わないが、少なくとも「あうんの呼吸」だとはいえよう。通常、政治というものは、意見を同じくする者たちがグループ(政党)を組織し、そのグループ同士が国民の支持を競い合うものだと考えられている。ところが、このグループは、そうした競争状態をグループ内でも作りだすことができるのだ。ここではリーダーが「悪役」になり、周囲の敵意を1人でひきつける。他のグループ構成員は、このリーダーを批判することで、自分を「安全圏」におくことができる。独裁的なやり方には賛成できないが、リーダーの方針には従わねば、と。

実は、グループ内に対立構造を作る手法は、「派閥争い」という名前でずっと以前から存在していた。そのバリエーションとして、「独裁」的リーダー対構成員という図式が存在しうるということが新たにわかったわけだ。以前からあったやり方よりも「独裁的」な態度は、それほど反対派の力が強いことのあらわれなのだろう。

実に面白い。危なっかしくみえる力関係だが、実は思いのほか頑健なのかもしれない。対立すればするほど、互いの存在を必要とするからだ。こういうやり方を解明する理論モデルというのは、あるのだろうか。政治学を研究する方々、ぜひ教えていただければ。

最後にもう一度断っておくが、これは政治的な主張を意図したものではない。現実の政治状況がこうなっているといっているわけでもない。ということでくれぐれもよろしく。

※追記
手元に「タイツくん」の「励行のこと」というカードが何枚かあるのだが、その中に「改革はよそ者に。」というのがあった。上記とよく似ている。なかなか侮りがたいぞタイツくん。

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Comments

自分でコメント。

ゲーム理論で何かできそうだな、こういうのは。協力ゲームの一種だろう。「『対立する』という協力ゲーム」とでも呼ぶべきか。

Posted by: 山口 浩 | July 06, 2005 11:25 PM

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