大事なのは知財ではない
青色発光ダイオードの特許をめぐる裁判が和解で決着した。元の勤務先である日亜化学工業を訴えていた米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授は、東京高裁からの和解勧告を受け、第一審判決の600億円という大勝利から一転して「泣く泣く」8.4億円の和解金で折り合った。
いろいろ物議を醸したこの件だが、今考えていることをメモしておく。
中村教授はかつて日亜職員だったころ、研究者仲間から「slave」とあだ名されていた。わずか2万円の対価とは会社の奴隷ではないか、というわけだ。退職後の2001年8月に提訴し、2004年1月の第一審・東京地裁判決では、青色LEDの発明による日亜化学工業の独占利益を1,208億円とし、うち中村氏の貢献度を50%として発明対価を604億円と算定したうえで、請求額の200億円全額の支払いを命じた。高裁ではこれが根底からひっくり返されたわけだ。
一審判決については、「画期的」という評価と「とんでもない」という評価があった。双方それなりの論拠があるようだ。実態はよくわからないのでコメントしようもない。問題は、裁判所もよくわかっていないらしいということだ。
和解案が根拠とした貢献度の5%は、日立製作所や味の素の元社員が起こした訴訟の判例などを踏まえて判断したそうだ。しかしそもそもそれがどこからきたのかも実はよくわからないし(どうも「そのくらいなら払える」といった理由であるような気がする)、個別事情を深く考慮したようすもない。他のケースでもこのぐらいだし、状況もさして変わらないようだから、同じぐらいにしておけばいいだろうと。このぐらい出しておけば、社員個人にとってはかなりの額だから、不満が出ることも少ないだろう、と。
要するに、裁判所という組織には、この問題について、独自の判断を行う能力はないということだ。このことは、必ずしも裁判所に対する批判ではない。そもそも法律の専門家でしかない裁判官にこうした問題を判断させようというほうがまちがいなのだ。現在すでに東京、大阪の両地裁には知財専門部があるし、知財に詳しい専門委員をそろえる制度もある。東京高裁の中に知財高裁も設置されることとなっている。制度面では着々と整備が進む。しかし、こうした制度ができれば必ず正しい判断ができるとは限らない。ある会社の中で従業員が協力してさまざまな研究開発を行っていくとき、特定の職員がどの程度の貢献をしたかについて、会社と職員の意見が異なっている場合、外部の人々がうかがい知ることができるのはごく表面的なものだ。制度が整ったとしても、理想的な状態とはほど遠い状態が続くだろう。
対策は、事前に取り決めておくことしかないと思う。裁判所は、その契約に照らして分配が適切かどうかを判断すればいい。分配が適切であるかどうかは、それが著しく不公平な結果をもたらしたと認められる場合だけ認めればいいから、判断は相対的に簡単になる。
日亜=中村裁判の話から離れて、一般論としてちょっと考えをめぐらせてみる。私としては、そもそもこうした訴訟が起きる時点で、企業として大きなマイナスを背負うことになるのではないかと思う。主張の適切さという問題はあるが、企業が従業員と争う事態は、従業員側にしてみれば、会社は自分たちの仕事を評価してくれていないという印象を免れないのではないか。さまざまある職種の中で、研究開発は、かなり「つぶしの効く」ものの1つだ。モチベーションの下がった職員はパフォーマンスが下がるか、よりよい条件を提示する企業に移籍するインセンティブを持つ。さらに、これから就職しようとする学生たちにとっても、職員の発明等に対するよりよい評価をしてくれる会社は人気が出るだろう。
要は、企業にとっては知財よりも人材のほうが大事なのではないか、ということだ。
知財は過去であるが、人材は未来だ。知財を守るために人材を捨てる企業がもしあるとしたら、その企業に優れた人材を引き止めることはこれからますます難しくなるだろう。短期的には利益機会を守れたとしても、長期的に「社員を使い捨てにする会社」という評価が定着してしまうと、その企業の将来は暗いものとならざるを得ないのではないか。
繰り返すが日亜の将来をどうこういうものではない。ただ、これから日亜の事業がどうなっていくのか、そして中村教授がこれからどんな業績を挙げていくのか、とても気になる。それは、日亜にとって、中村教授と争うことで確保した利益(つまり過去だ)と、もし中村教授が日亜職員としてとどまっていたら(あるいはそれをみた他の、あるいは将来の日亜職員たちが)今後生み出したかもしれない利益(こっちは未来だ)とでどちらが大きいのかみてみたい、という関心だ。
※2006/2/11追記
「青色LED特許、日亜化学が放棄へ 中村氏発明」
日亜化学工業(徳島県阿南市)は10日、05年1月に和解した青色発光ダイオード(LED)の発明対価訴訟で、発明者で米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二氏が対価要求の根拠とした「404特許」について、権利を放棄する方向で検討に入ったことを明らかにした。
The comments to this entry are closed.
Comments