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March 16, 2005

GLOCOM情報発信機構月例セミナー「参加型ジャーナリズムの時代」に出てみた

ちょっと前に「GLOCOM情報発信機構月例セミナー『参加型ジャーナリズムの時代』」の開催について書いたのだが、時間がとれたので出席してみた。

スピーカーは「ネットは新聞を殺すのかblog」の湯川氏。参加型ジャーナリズムまわりの議論に参加している人ならご存知だろう。お話の内容は、同氏のblogのまとめと紹介のような感じだ。参加されていた「Proving grounds of the mad over logs」のmakiさん簡潔かつ充実したまとめを書いておられるので、聞き逃した方はこちらをご参照。同じく当日参加のマッキーさんFPNの徳力さんも記事にしておられる。それぞれの関心の持ち方やら意見やらが少しずつちがうのが面白いのでこちらも参照されたい。

私は正直なところジャーナリズム論(よくある「べき」論)にはあまり興味がないので、お話を聞きながら主にビジネス面でつらつらと考えを泳がせていた。最大の関心事は、「参加型ジャーナリズムの台頭で既存ジャーナリズムは『ビジネスとして』どうなるのか」だ。

講演の中では、既存ジャーナリズムが1つのテーマを長く追いかけ続けることがなかなかできないが、blogはそれをカバーすることができる、といった話も出てきた。いわゆる「long tail」の議論だ。湯川氏のblogには、Amazonの例が出ている。ネットならニッチなニーズを満たすことができ、という例の話だ。それと参加型ジャーナリズムの機能が似ていると。要は役割分担論ということか。

Amazonの例から考えると、少しちがった図が浮かんできた。Amazonはニッチなニーズへの対応もさることながら、マスマーケットにもがっちり食い込んでいる。アメリカでは既存書店の市場をずいぶん侵食したはずだ。日本では再販制度のせいで値引きができないという不利な条件のはずだが、どうも大成功しているらしい(「マガジーンズ」を参照)。生活実感でいっても、私にとって書店はたまに立ち読みにいく場所で、買うのはほとんどAmazonだ。

それと同じように、参加型ジャーナリズムが既存ジャーナリズムの「牙城」であったマスの部分を侵食していくことはないのだろうか。「既存ジャーナリズムのほうが信頼されている」と湯川氏はいう。その通りで、同意するのだが、多少なりとも侵食されていくことによって、「マス」の基盤が縮小していくことは、ビジネスとしてはそれなりに重大な事態ではなかろうかと思う。いっちゃあなんだが、技術系やネットビジネス関係の分析モノなんかは、日経より(他の新聞はまず論外)WiredやCNETのほうが信頼がおける(こういうのを「参加型」というのかわからないが)。海外ネタの分析なら、やはり「極東ブログ」は何と言ってるだろう、と気になる。こと分析となると、既存ジャーナリズムは正直なところ、あまりあてにならない。

つまり私にとっては、「long tail」というより、単なる事実は既存ジャーナリズム、深い分析はblogという使い分けのほうがしっくりくる。とすると、ビジネスとしての既存ジャーナリズムは、やはり今後ちょっと厳しい、かな。

もう1つ気になるのは、ややビジネスから離れるかもしれないが、既存ジャーナリズムの「権益」が参加型ジャーナリズムにも「開放」されるのか、されるべきか、だ。参加型ジャーナリズムの台頭に対して既存ジャーナリズムの側が不快感を示すのは、つきつめれば権益の独占に関する問題だと思う。言論の自由の担い手を標榜することでこれまで享受してきた特権を奪われてなるものか、といった雰囲気が漂っているように私には思える。

それに関連して面白かったのはGoogleニュースの話だ。既存ジャーナリズム各社からニュースをとってきて並べるというGoogleニュースに対して、それまで他社に自社コンテンツを利用させようとしなかった各社があっさりと(何社かは抵抗したあげくにこっそりと)ニュースの提供を許したという話。ほんのちょっと前まで、リンクはトップページのみ、しかも要事前承諾だったのにだ。ひょっとしたら今も、他の相手にはこれまでと同じことをいうのではないか。

ややとっちらかった書き方だが、いいたいことは、ジャーナリズムだ公共性だという大所高所の議論の多くは、実は単に利害の配分という問題でしかないということだ。だからくだらないとかジャーナリズムはだめだとかいっているのではない。逆に、利害の配分という切り口で整理することこそが重要だということだ。大義名分で語るから、譲るものも譲れなくなり、建設的な議論ができなくなる。利害の問題で譲れるような大義名分なら、始めから利害の問題として扱えばいい。それはジャーナリズムを貶めるものではない。他のビジネスと同様、ジャーナリズムもビジネス、でいいではないか。それでは公益性はどうなる、という意見もあろうが、ちょっと待て。そういうものこそ、「long tail」のネチズンだのbloggerだのに任せてはどうか。そういうことをしやすいのが、参加型ジャーナリズムのいいところではなかったのか。

やはり質の問題が、と気になる部分はある。しかし、だ。そもそも、ジャーナリストはジャーナリズムのプロではあっても、書かれる題材のプロではないではないか。政治問題は政治のプロが、経済問題は経済のプロが、というふうに、その題材に関するプロが書いたほうがよりよい記事が書けたりすることはないだろうか。

そういうのは、ひょっとしたら、「参加型ジャーナリズム」というより「分散型ジャーナリズム」とでも呼んだほうがいいいかもしれない。いくらbloggerにホワイトハウスの記者証が出る時代だとはいえ、記者会見に素人記者が3万人も押し寄せたら困るだろう。「権益」やら「特権」やらを享受できるジャーナリストは、能力やら経験で絞り込む必要がある。ただしそれが、既存ジャーナリズムの企業の社員である必要は必ずしもないのではないか、と思う。

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Comments

エントリ拝見しました。すごく興味深いです。今のマスメディアで活躍してる団塊世代の方が定年になるころってどうなってるんでしょうね。既得権ももうなさそうだし・・・。
専門家bloggerが沢山出てくるといいなぁ。多くの人がジャーナルの書き方を学べば或いはそうなっていくんでしょうか。
TBありがとうございました:>

Posted by: マッキー | March 16, 2005 11:53 PM

セミナー案内とトラックバックありがとうございます。
(お会いしたときには忘れていたのですが、以前にこちらからトラックバックをお送りしていましたね)

long tailの裾の方から胴体を侵食する、というのは、なんとなくみんなが想像するモデルなんだろうな、という気がします。

利害の侵食については、大きなポイントではあると思うのですが、湯川さんのブログのコメントにあった、リスクマネジメントという観点では、誰でもというわけにはいかないと思います。
参加型ジャーナリズムで利益が出るようになれば、その利益で専任の記者を雇うというのが理想的なんじゃないかなと。

Posted by: maki | March 19, 2005 02:14 PM

makiさん、コメントありがとうございます。
リスクね。私は、素人記者さんたちが「世界を震撼させる大スクープ!」を連発する事態は想定していません。でも、ニュースの大半はごくおとなしいものです。そういうのを素人記者たちがどんどん書くようになったら、プロ記者の何割かは仕事がなくなってしまうでしょ?会社の売上が3割減ったら企業としてかなりの痛手のはず。下手したら存続できないかもしれない。「侵食」というのはそういう意味で使っています。「専任」というより、「会社がリスクを肩代わりしてもいいと思うレベル」の記者が出てくればいいのでは?

Posted by: 山口 浩 | March 20, 2005 02:02 AM

マッキーさん、コメントありがとうございます。
湯川さんのセミナーでも出てきた「EPIC2014」を思い出しますね。いったいどうなるのでしょうか?というか、「どうしたいか」だな、きっと。

Posted by: 山口 浩 | March 20, 2005 02:08 AM

blogとマスメディアについて私も分析をしてみましたので、TBをさせて頂きました。(エラーだったかもですが・・)マスメディアもビジネスとして運営している以上は、全ての記事に専門家を介在させることは難しいですよね。そうした中で、専門家が無料で作成しているblogとどう共存するのかについて興味があります。

Posted by: hbiki | March 28, 2005 02:48 AM

hbikiさん、コメントありがとうございます。
ビジネスとしてのマスメディア、ビジネスでないマスメディア、無料で作成しているblog、有料で記事を販売するblog、…これから、いろんなパターンが出てくるかもしれませんね。
変化は突拍子もないところから起こることがよくあります。何が起きるか要注目ですね。

Posted by: 山口 浩 | March 29, 2005 01:32 AM

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