ストローというよりサイフォン
「ストロー現象」ということばが使われるようになって久しい。地方振興などの目的で、都市と田舎をつなぐ道路や鉄道などの交通手段を整備すると、田舎から都市へ人が流れるなど、意図と逆になってしまう現象だ。
ことば自体は知られているのに、どうしてそれが自分たちのところにも起きるという考えが働かないのだろうかという、別に目新しくもないちょっとした感想。
市長さんだとか議員さんだとかいう立場の方の話を聞くと、どうも「このプロジェクトを地域活性化の起爆剤として今後ますます発展をはかる」云々の思考パターンが根強く残っているようにみえる。(この「起爆剤」という表現はきらいなのだが、2日連続でなぜきらいかなどと書くのはいやなので、別の機会とする。)ともかくこのような表現は、公式な文書にもまだ残っているし、有力者の皆さんが人前で話すときなどはさらに頻繁に出てくる。で、廃止された鉄道線路の跡地に高速道路を通そうとしていたりする。鉄道ですら採算が合わないから廃止されたんじゃなかったのか?そもそも鉄道は道路より低コストで建設できる輸送インフラとして普及したものだとどこかで聞いたが?
ところが、えらい立場でない人たちの話を聞くと、どうもそんなにインフラ整備を望んではいなかったりするからまた不思議だ。「いや本当はなくともいいんだけんど」みたいな話がごろごろ出てくる。実際、いったい「必要性」って何だ?「民意」って何なんだ?といいたくなる。まったく、どうなっちょるのかわからんとですよ。
ただ、どうも一般の人たちは、公式の場で新しい道路や鉄道はいらんとまではいわないらしい。そりゃないよりあったほうがいい。自分でコストを負担しない限りは。典型的なフリーライダー問題だ。それに、ミクロでみれば、インフラ整備に伴う補償は、対象となる人々にとってはけっこうおいしい収入らしい。立ち退きで移転した場所に新しいりっぱな家を建てたり、ということもある。で、一般の人たちは、まあ損するわけでもないからいわせとけ、というのがホンネであるように理解した。その人たちのモラルが、とかいうつもりはない。少なくともこういうあたり、人は本当に経済原則通りに行動する。よく「経済学は人の心を考えない冷たい学問」みたいにいう人がいるが、ちがうと思う。こういう泥臭い部分に、むき出しの経済学があらわれるのだ。
で、「ストロー現象」なのだが、前から、どちらかというと「サイフォン現象」とでも呼んだほうが適切なのではないか、と思っている。いうまでもないがサイフォンは、「圧力差を利用して、液体をその液面より高い所へいったん導いて低い所に移す曲がった管。また、その装置。」(@niftyの三省堂国語辞典)だ。2つの離れていた場所をつなぐと、圧力差から、一方からもう一方に液体が流れていく。要は、どちらの圧力が強いかだ。
交通インフラもそれに似ている。地方の側は、交通インフラができれば都会から人や企業がやってきて、と期待するわけだが、そもそも「圧力」は、地方から都会への方向のほうが強い。だから人や企業は、むしろ都会へと流出してしまうことになる。「ストロー」だと、都会の誰かが吸い取ってしまうようなイメージだが、そうではない。圧力差から、自然に都会のほうへ流れていってしまうのだ。誰か悪いやつが仕組んでいるのでも何でもなく、そういう「法則」なのだ。
だから、地域振興をはかるためには、まず地域の魅力を高めるところから始めないといけないと思う。その地方に行きたいという「圧力」が高まれば、交通インフラの整備は地方にプラスに働く。そんな簡単にできるわけない、というのはその通り。しかしそれがなければ、交通インフラの整備が地域荒廃を招いてしまうリスクを負い続けなければならない。
ちなみに、和歌山社会経済研究所主任研究員の藤川剛史氏が、地方にカジノを作ることによって地方に人を呼び寄せよう、という主張をしている。
「逆ストロー現象 ~ストロー現象で疲弊したまちはカジノでよみがえるか?~」
なるほど。ただこの場合決定的に重要なのは、「カジノの総数」だ。まさかパチンコ屋のように、全国どの町にも、というわけにはいくまい。さらに、都会にもカジノができたらどうなる?という問題も。地域振興策としてのカジノをどう考えるか。
私にはまだよくわからんとですよ。
The comments to this entry are closed.
Comments