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March 08, 2005

ワンフレーズで語る人々の論理

文藝春秋特別版2005年3月臨時増刊号に、国際金融情報センターの溝口善兵衛理事長が「市場における言葉の効用」というタイトルでコラムを寄せている。

影響力ある人がマスコミとどう付き合うかについて書いているのだが、マスコミというものの性質についても示唆に富むと思われるので、引用してちょっと考えてみる。

国際金融畑の人なら知らないということはないと思うが、この人は前の財務省財務官で、昨年まで日本政府の為替介入を直接指揮する立場にあった。当時の巨額のドル買い支えはまだ記憶に新しい。いわゆる「通貨マフィア」と呼ばれた1人だ。ちなみに「ミスター円」として知られる榊原英資氏(現慶応大学教授)がそう呼ばれるようになったのも、同氏が財務官の地位にあったときだ。

コラムには、こう書かれている。

「通信とメディアの発達によって世界の市場が一体化し、巨大化するとき、この巨大な市場に対して言葉を正確に伝えようとする際には、メディアという回路の中で磨耗しない短く堅固な言葉を繰り返すというのはやむを得ざるひとつの方法なのかもしれない。」

財務官は、財務省の玄関ロビーで毎朝ぶら下がり取材を受け、ことあれば記者会見を開くなど、その言動の1つ1つがマスコミの強い関心を呼ぶ。うっかり口を滑らせれば、為替市場を大きく動かしてしまうかもしれない。実際、政府高官や官僚の発言が1人歩きして大きく市場を動かしてしまった例がたくさんある。

しかし問題は取材される人にだけあるのではない。むしろマスコミの側が、「何か変わったことはないか」「何かの前触れなのではないか」と勘ぐり、針小棒大の取り上げ方をすることが大きな問題なのだ。ちょっとでも表現を変えると政策の変更だと騒ぎ立てられ、市場に大きな影響を与えてしまう。

しかもマスコミというのは、人の発言内容を勝手に要約したり、解釈して表現を変えたりする。時間やスペースの制約が主な理由だが、前後の文脈が失われることで、元の意味とはちがったものになってしまうことがしばしばある。いったん変えられて報道されれば、今度はそちらがオリジナルになってしまう。「そんなことはいっていない」とがんばっても、もうそのときには遅いのだ。これが「磨耗」だ。

となると、対応するための1つの手法は、要約できないほどの短いことばを使い、それをいつどんな場合でも繰り返すことだ。上記コラムには、米財務長官が「強いドルは米国の国益」という表現を呪文のように繰り返したことが例として引かれている。これなら要約しようも改変しようもないから、誰から誰に伝えられても「磨耗」しない。ロン・サスカインド著「忠誠の代償」(武井楊一訳、日本経済新聞社、2004年)には、2001年に当時のオニール財務長官がこれを「強いドルは強い経済の結果」と言い換えただけでドルの急落を招いたエピソードが出てくる。この程度の変化すら気にしなければならない状況であれば、もう何を聞かれても「強いドルは米国の国益」と答えるしかない。

と、ここまでが引用をベースにした話。

上記の話を聞いて、どこか思い当たるふしはないだろうか。マスコミの人々の行動パターンというのは、日本でもまったく変わらない。紋切り型の図式やら思い込みやら自分たちの主張やらにあてはめてストーリーを作り上げてしまうあたりはなおさら悪いかもしれない。磨耗どころか、原石からちがった形を切り出してしまうわけだ。それがマスコミというものだ、それを理解したうえで慎重に発言しなければならない、というのは、影響力ある人の心得である。

影響力のない私たちが心得ておくべきことは何だろうか。まずいえるのは、「マスコミとはそうしたものだ」という理解だ。彼らは変化を、特ダネを、スクープを求める。「今日は何もありませんでした」では飯が食えないのだ。何が何でも変化を見つけ出さなければならないのだ。変化を見つけ出したら、それを思いっきりふくらませなければならないのだ。この報道を見ないと何か恐ろしい変化を見逃すぞ、と思わせなければならないのだ。私たちが日常見ているマスコミの報道というものの少なからぬ部分は、こうした「日夜たゆまぬ営業努力」の結晶だ。踊らされないために、私たちは気をつけなければならない。やはり複数の情報ソースを持つべきだろう。そして、報道がどういう意図で情報を伝えているかを想像してみる必要がある。ひょっとしたらこれはちがうかもしれないぞ、と思いながら情報に接するだけでも、効果があるのではないだろうか。

それから、短いフレーズでものを語る人は何も考えていないわけではない、ということもいえるかもしれない。「国民に説明せよ」「議論が尽くされていない」などはマスコミでよくみかける批判だが、それは説明したくない場合ばかりではない可能性がある。どんなに説明しても、それを切りとって改変して伝えられる可能性が高いとわかっていたら、誰がまじめに説明しようとするだろうか。私なら、後で文書で回答します、という。それなら要約やら改変やらをされても、後で検証できるからだ。そうでなければ「メディアという回路の中で磨耗しない短く堅固な言葉」しかない。政治家にもワンフレーズ・ポリティクスと揶揄される人がいる。国民を軽んじているのか「磨耗」を避けるためなのか、その真意は知らないので擁護するわけではないが、ワンフレーズだというだけで非難するのはあたらない、と思う。

マスコミが信用ならない、といっているのではない。マスコミがそういうものだと知った上で、その情報を上手に使いこなそう、ということがいいたいのだ。丸呑みにして後で「だまされた」と憤るのではなく、まずよく確かめよう。マスコミは水戸黄門ではなく、営利会社(非営利もあるが)だ。「悪代官と結託する越後屋」ではないだろうが、「日々の商売に追われる井筒屋」ではある。「一段上」から私たちに教えてくださる存在ではなく、情報収集と配信を担当する私たちの「仲間」とみたらどうだろう。間違うことだって見落とすことだってある。それでも私たちは彼らから恩恵を受けているし、その存在は欠くことができない。彼らが伝える情報がどういうものであるかを知った上で、うまく使いこなせばいい。過剰な期待は禁物だが、絶望する必要もない。そういうものだと思ってつきあえばいいのではないか。

※言わずもがなの念のため。文中の「越後屋」やら「井筒屋」やらは単なる「水戸黄門」にひっかけてそれらしい昔の商家の屋号を書いたまでであって、特定の企業ないし屋号を意味するものではない。越後屋が悪者だというわけでもない(水戸黄門に限らず時代劇で悪代官と結託するのは越後屋と相場が決まっているように思うのは単なる思い込みだろうか)し、井筒屋の経営が苦しいといっているわけでもない(私の記憶では、「水戸黄門」に出てくる井筒屋には善良なものが多かったというだけだ)。

※さらに念のため。「通貨マフィア」は(特に先進各国の)国際金融の当局担当者を指す一般的な呼び方で、別に裏組織だとか悪者だとかいう意味ではない。事柄の性質上、彼らの行動は外部に知らされないことがあり、そのことが「マフィア」という呼び方の由来になっている。1980年代は「隠密行動」が多かったが、現在はむしろ、投機的な動きを抑制するために市場に対してメッセージを出していくことが求められており、必ずしも黒子とはいえない。こちらもご参照。

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