人型ロボットの時代
㈱テムザックは、離れた場所で分身のように歩き回る人型ロボット「新歩」を開発した。身長150cm、体重70kgで、時速1.8kmで歩行することができる。操作者は数m離れたコクピットにすわり、ハンドルとペダルで手足を操作する。ロボットにはカメラが搭載され、とらえた映像を操作者のゴーグル型ディスプレイに転送する。情報通信は無線LANで行う。
早稲田大学の高西敦夫教授が開発し、新潟県立自然科学館で展示を始めた、というニュースをメモのために。ご存知の方には当たり前の話なので、あらかじめおことわりしておく。
近年、人型ロボットの開発に向けた動きが急速に進んでいる。人間のように2本の手、2本の足を持ち、人間のように歩行できる機械だ。ASIMOのように自律的に考え、動く「アトム」型(こういうのが本来の意味での「ロボット」だろうが)もあれば、人が乗って動かす「ガンダム」型もある。「愛・地球博」でも人型ロボットのショーは目玉アトラクションらしい。日本が世界で一番進んでいるというのは、人型ロボットに対する抵抗感が最も少ない国民だということなのだろう。やはり「アトム」以来脈々と続く遺伝子、とでもいうべきか。
今回の「新歩」は、アトムやガンダムとはちがう。「攻殻機動隊」第2巻で「デコット」と呼ばれていたものと近いといえるだろう。オンラインゲームのアナロジーでいけば、リアルなアバターだ。テムザックは、これまでも遠隔操作ロボットをいろいろ開発してきたが、人間に近い自然な歩き方のできる2足歩行ロボットというのが今回のウリだ。しかし私としては、人が遠隔操作するというところに注目したい。
この種の遠隔操作ロボットは、自律的に動くロボットよりも社会に受け入れられやすいかもしれない。ヒトの肉体的機能はそれなりにまねできるようになってはきたが、人工知能のほうの研究は、正直まだまだといっていい。一般的なチャットでわずかな時間相手をだますくらいならよくできた人工無脳にもできるが、本格的なテューリングテストをクリアするものが出てくるのはまだまだ先のような気がする。人間のような臨機応変はまだ望めない。となると、人間の社会にロボットが溶け込むためには、やはり人にコントロールされているもののほうが安心だ。
ガンダム型は、ある意味車椅子の代替になるのだろうが、どうしても大きくなるし、人間が乗るという意味で安全性が問われる。これに対しデコット型は、人間のための安全装置もいらないから小さく軽くできるし、動きの自由度も増す。リモートコントロールの技術が充分成熟していれば、人間が離れた位置からコントロールするのは、けっこう優れた方法だと思う。
使い道としてまず思いつくのは、危険な作業をするロボットだ。原子炉での作業、溶鉱炉近くでの作業。宇宙基地だって、月ぐらいまでだったら人間よりも人型ロボットを送り込んで、地球からコントロールしたほうが効率的なのではないか。
身体障害者が社会進出する手段になったら面白いと思う。体が動かせない人でも、他の人と同じように外を歩き回って、作業したりすることができる。テニスコートで、人型ロボットを操る障害者と自分の体でプレイする健常者がテニスを楽しめたら面白いとは思わないか。
見たくないのは、軍事面での利用だ。これは米軍なんかが本気で考えるだろう。自律型ロボットに武器を握らせるのはまだ議論を呼びそうだ。アメリカ人は最近の「アイ,ロボット」をみるまでもなく、コンピュータと人との対立関係を思い浮かべるのが得意だし。ロボット兵器はすでに出始めてはいるが、本格配備にはけっこう躊躇するのではないかと想像する。人がコントロールするなら許せる、ということで、こうしたデコット型兵士が実線配備となる可能性はかなりあるのではないだろうか。
そこでつい、映画「イノセンス」の中の台詞を思い出す。「人間は、何故こうまでして自分の似姿を作りたがるのか」みたいな感じの。このあたりについては、「読み解きたがる人々」がさまざまな議論をされているので、お好きな方はそちらをあたっていただくとして。人型ロボットについては、私はシンプルに考えている。人は人型のものに親近感を感じる。だから機械にも「仲間」を感じ取りたいのだ、と。
マンガ「鉄腕アトム」では、2003年4月7日にアトムが生まれたことになっている。私たちは「アトム」には追いつけなかった。「ドラえもん」は22世紀だからまだ約100年ある。「攻殻機動隊」のデコットまであと約30年。私たちは士郎正宗の想像力に追いつけるだろうか。
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