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March 18, 2005

企業はだれのものか:整理して考えたほうがいい

昔からよくある議論ではあるのだが、最近特に、「企業は誰のものか」といった議論をよくみかける。やれ株主主権だコーポレートガバナンスだ、いやステークホルダーだ社会的責任だと。

みていると、どうもさまざまなレベルの議論が錯綜して混乱しているようだ。本来こういうことを整理するべき研究者たちまで、いっしょになって侃々諤々やっているようにみえるというのはうがった見方だろうか。

というわけで、役不足を承知で(もとい!「荷が重いのを承知で」に修正)、少しだけ整理してみる。
あくまで少しだけ、だが。

いま「会社は誰のものか」といった題目で議論されている内容は、いくつかに分けることができる。とりあえず3つに分けてみる。会社は誰の所有に属するか、会社の価値は何に帰属するか、そして会社の意思決定は誰の意見に従うべきか、の3つだ。

(1)会社は誰の所有に属するか
一番基本的な議論は、会社は法的に誰の所有に属するのか、だ。これははっきりしている。会社は、株主のものだ。資本を提供しその代わりに株式を取得した者、他の株主から株式を取得した者が、会社の所有者だ。会社の所有者たる株主は、会社の最高意思決定機関たる株主総会の議決権、利益分配である配当請求権、会社清算時の残余財産請求権を持つ。この点について異論はないだろう。異論がある方は商法の先生に聞いていただきたい。

(2)会社の価値は何に帰属しているか
「会社に価値があるのは誰のおかげか」ということだ。これもまあそれほど議論の余地はない。経営学的にいえば財産、人材などの経営資源、経済学的にいえば資本と労働だ(企業によっては、当該企業の財産や人材ではなく、当該企業の属するグループの他企業との取引関係に価値の源泉がある場合もあるらしいが)。ともあれ一般的には、会社の価値の源泉は会社の中にあるのであって、会社を所有する株主にはない。この点も異論はほぼないのではないか。異論のある方は経営学の先生に聞いていただきたい。

(3)会社の意思決定は誰の意見に従うべきか
さて問題はここだ。みるところ、「会社は誰のものか」という議論が訳分からなくなるのは、「誰のものか」といいながら実は「誰の意見に従うべきか」を議論しているからだ。専門家の皆さんも、そこを整理しないで自分の立場からだけものをいっていることが少なくない。

「誰の意見に従うべきか」について、要は上記の(1)派と(2)派の意見が分かれるわけだ。(1)派は「会社は株主のものだから株主のいうことを聞くのが当然だ」といい、(2)派は「会社は従業員あってのものだから、従業員の意見を聞かなければだめだ」という。対立が典型的にあらわれるのは、企業価値増大を目的として給与カットなどを行う場合だろうか。対立する点はもちろん他にもさまざまありうるが、要は「株主か従業員か」という選択問題となる。

経営者は?というと、その間に立つのが経営者だ。つまりこの問題は、経営者が株主と従業員のどちらの側に立つべきか、ということでもある。

顧客は?という人もあろう。顧客が一番大事ではないかと。当然だ。当然だが、企業というものの意思決定プロセスには、顧客は参加しない。考慮すべき最も重要な要素ではあるが、意思決定の参加者ではない。文字通り「お客様」だ。だいいち、企業はふつう、顧客を失うようなことをわざわざやったりはしない。それを上回るメリットがない限りは。

社会は?という人もあろう。地球環境だの子孫だのという人もいるだろう。ちょっと待ってくれ。それって誰のことだ?「社会」さんが本社ビルの玄関でデモ行進するのか?「地球環境」さんが会社にメールでもよこすのか?そういう否定しがたいものを引き合いに出して主張を通したい人がいるのはわかるが、この人々も会社の意思決定プロセスには参加していない。もちろん考慮すべき重要な要素であるのだが、部外者だ。企業がこうした公益性をどれだけ重視するかは、その企業の顧客(つまり私たちだ)がどれだけ公益性に関心を持つかに依存する。その意味で企業は私たちの鏡だ。企業に公益性がないと非難する人は、私たち自身に公益性がないということを言っているにすぎない。企業は変わる。私たちが変われば。

本題に戻る。

企業の意思決定における株主の利益と従業員の利益が対立するケースはよくある。収益を与件とすれば、あとは分配のゼロサムゲームだからだ。本来こういうのは望ましいことではない。いかに将来を切り開き、win-winの関係を築けるかが、経営者の腕の見せ所、ということになるだろう。

では不幸にしてそうした経営者に恵まれず(あるいは不運のため)、ゼロサムゲームに陥ったらどうすべきか。ひとことでいえる原則などというものは存在しないが、よくみる「会社はこうあるべき」論に対するコメントとしていうなら、それぞれの人はそれぞれ「自由」を持っている、ということになろうか。株主は投資先の企業に対してものを言う自由がある。従業員が反抗した場合、間接的にだが、それにペナルティを与えることもできる。ただし従業員に嫌われることによって、業績が下がるだの優秀な社員に辞められるなどのデメリットはあるわけで、それらを天秤にかけてどうするか考えるわけだ。逆に従業員の側は、株主の意向に反抗する自由があるが、それなりのペナルティを覚悟しなければならない。いやなら辞めることもできるが、相当のリスクとコスト負担がかかるだろう。それらを天秤にかけて判断することになる。

どちらにも自由がある。対立したら、交渉して解決しなければならない。お互いに納得のいく結論になる場合もあれば、そうでない場合もあるが、結果自体にいい悪いはない。一般的に、労働者は企業に比べて不利だといわれる。だから法の保護があるし、組合などで団結したりもする。それがルールだ。その他の分野でも、私たちの社会には、かなり発達したルールや制度がある。それらは長い間かけて練り上げられてきた、利益配分に関する先人の叡智だ。それに従って行なわれたことに対して文句をいうのはスジ違いだ。時代が変わってルールや制度がもはや適切でなくなったとすれば、あるいはもとから欠点があったとすれば、それに対する文句はルールや制度を作る側にいうべきものだ。

今のルールは、株主も従業員も、ルールや制度に従っていれば、あとは自分の利益のために行動することを許容している。利害の衝突があれば、交渉で解決する。解決しなければ法廷で解決する。企業は株主のものだ。ただしその価値は顧客からの売上やサプライヤーとの安定的な取引関係などさまざまな外部要素、会社の資産や従業員などの内的要素の双方に依存するから、企業の価値、ひいては株式の価値につながる範囲内でそれらを大事にする。それがいやなら、ルールや制度を変えたらいい。変えるのは国民である私たちの意思だ。それらを変えようとすると、必ず自分たちにもその影響が及んでくる。その影響を引き受ける覚悟があるなら、変更に同意すればいい。そうした覚悟なしに、一方の側から「べき」論をぶって悦に入るのももちろん自由だが、それでは問題は解決しない。向こうにも「べき」論をぶって悦に入っている人がいるからだ。

書きなぐるととっちらかってわかりにくくなるのは、私の能力と時間の不足のためだ。整理されたかどうかわからないが、とりあえずここでやめておく。

※追記
さる方からこっそりメールをいただいた。冒頭の「役不足」の使い方がまちがっていると。その通り。これではたいへん不遜な表現になってしまうではないか。なんともお恥ずかしい話だ。反省。

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Comments

よくわかりますよ(^^
いろんなバランスを取るのが経営者の役目ってことなんでしょう。で、株主がその能力に不満があるなら、経営者を変えてしまうということだと思います。
不毛な議論は見ないことにしているので、どんなことが起こっているのか、よくわかりませんが(^^;

Posted by: ひろ | March 18, 2005 05:33 PM

コメントありがとうございます。
自分でもわかりにくい文章ですね。反省。

要は、強制できないものに「~すべき」とかいっても始まらないじゃん、ということなんです。実現したかったら、しくみとかルールとかを変えなきゃ、と。で、立場のちがう人はちがうことを考えているから、「真ん中」まで出てこないと話し合いにはならないよ、ということですね。

Posted by: 山口 浩 | March 20, 2005 01:56 AM

 とてもよく分かります。私も同様に思っています。安心しました。こういう見方をしている人がいて・・・・。

 
 

 

Posted by: m-hannya | March 24, 2005 02:27 PM

複数の要素を(意図的にか、頭が悪い為か)ごちゃごちゃに議論しているのを、ニュースなどでは平気で垂れ流しています。

本当に、「自分がどうしたいのか」を決めておかないと議論など出来ませんね。「実装」を変えるしか無いんですよね。

とても「妙着」なお話でした。

Posted by: ノートリアス | March 24, 2005 02:47 PM

資本主義の大事な点が堀江社長のおかげで明らかになりつつあります。資本主義は各ステークホルダー自らの利害において合理的に動くことを前提に作られています。堀江社長の日本放送やフジテレビに対する苛立ちはそこあります。

また経営者が株主と従業員の間に立つ とい考え方にはちょっと違和感がありますね。従業員や株主の側にたっている(=利害を代表している)経営者はきわめて稀です。意思決定を従業員や株主に求めている経営者はほとんどいないと思いますよ。

経営者がどちらかに利害にたつというよりは、会社は株主、従業員、経営者という3つステークホルダーの意思により行動が左右される組織であるというの本当ではないでしょうか?


Posted by: すぎじい | March 27, 2005 02:45 AM

すぎじいさん、コメントありがとうございます。
何が「合理的」かはけっこう難しいですね。個人レベルと組織レベルとか、将来の不確実性をどうとらえるかとか、経路依存性とか取引コストとか、いろいろな要素が入り混じるので。

経営者が経営上の意思決定を外部に求めることはないですよね。でも利害の配分をしているのは確かです。私の書いたのはそういう意味です。わかりにくい文章ですよね。すいません。経営者が自分で大半を取っちゃうことは、大きな会社だとまあないでしょうから、会社の中と外、どっちにどう切り分けるかという判断をしているのではないかと。

ちなみに「ステークホルダー」ということばは、経営者の立場からみた会社の利害関係者を指すときに使うのが普通だと思います。したがって経営者自身をステークホルダーに含めるのはあまり適切ではないと思いますね。現実はちがうかもしれませんが、ここでは「べき論」をしたかったので。ステークホルダー論も「べき論」ですよね?

Posted by: 山口 浩 | March 27, 2005 03:15 AM

同感です。私も整理して考える時期だと思います。是非私のサイトの記載にもご意見いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

Posted by: 渡辺日出男 | May 21, 2005 11:34 AM

渡辺日出男さん、コメントありがとうございます。
サイトを見せていただきました。どこにコメントすればいいのかわかりませんでしたので、とりあえずこちらへ。
面白いビジネスモデルですね。経営コンサルティング分野におけるe-learningが成立するとは思っていませんでしたので、斬新な感じを受けました。勉強になりました。

Posted by: 山口 浩 | May 22, 2005 04:36 PM

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-「会社は誰のものか」という議論が混乱するのは、〓会社を所有するのは誰か(株主)、〓会社の価値は誰に帰属するか(会社の「中」)、〓会社の意志決定は誰の意見に従うべきか、との違ったレベルの議論が錯綜しているため。 -企業価値をめぐる株主と従業員の関係はゼロサムであり、有能な経営者に恵まれず、対立する場合はあり得る。この場合には、ルールに従い、交渉して解決する外ない。 コメント 仮に、議論のレベルを〓に揃えたとして、株主総会が企業の最高意志決定機関であり、経営者は株主のエージェントである。その意味で答え... [Read More]

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