「メディア」としてのゲーム
全国銀行協会が高校生向けの学習用パソコンゲーム「私の夢&銀行」を製作、無料配布している。ネットベンチャー企業オーナー、ヘアサロンオーナー、カフェオーナー、ファッションデザイナーの中から職業を選び、起業までのプロセスをドラマ形式で仮想体験しながら、金融や経済に関する基本的な知識について学ぶものだ。
学習用のゲーム自体は、それだけみれば別に珍しくも新しくもない。数日前にとりあげた財務省の「ゴーゴー!ふぁいなんす☆タウン」もそうだし、他官庁や企業も含め、多くの例がある。それらを個別にとりあげるのもおもしろいが、ここではその底流にあるもっと大きな「流れ」に注目したい。
それは、ゲームが娯楽の道具からはみ出し、表現媒体という意味での「メディア」として機能し始めたということだ。昨年の米大統領選挙では民主党陣営が選挙運動ゲームを提供していたし、反戦啓蒙を目的とした「September 12」というゲームもあった。こうした、「まじめな」目的のゲームを総称して「シリアスゲーム」という。これについてもかつて取り上げたが、米国の推計では2001年時点で同国のシリアスゲーム市場は1,300億ドルを超えていたという。ゲームという表現形式は、今や政治的主張を伝えるメディアにもなったのである。
今、ゲーム産業はいわゆる「コンテンツビジネス」の一分野として注目を集めているが、上記の視点からすれば、それはすでにやや「遅れて」いるかもしれない。ゲーム産業はもはや「メディアビジネス」の一類型になりつつあるのだ。「いかにゲームを売るか」だけでなく、「ゲームをいかに使って売るか」が課題になる時代がすぐそこまできている。
また、ゲーム内に実在の企業の広告を出したり、プロダクトプレースメントを行ったりすることも増えてきている。世界最大のゲーム会社である米エレクトロニック・アーツ社の場合、ゲーム内広告による収入は昨年1,000万ドルあった。売上40億ドルに比べればまだ小さいが、今後さらに伸びると期待されており、最近米国にできたゲーム内広告専門の広告代理店「Massive Inc.」については最近とりあげた。新聞広告、放送広告、ネット広告と、メディアには必ず広告が付随する。ゲーム内に広告が出るということは、新聞紙面に広告が出ることとなんら変わらない。これはゲームがメディアであることの証といっていいだろう。
こうした変化は、技術の進歩と市場の変化によって起こる。技術面は、当然ながらゲームというものの表現力が増したことだ。しかしここで書いているようなメディア化という面では、むしろ市場面の変化のほうが大きいと思う。もっとはっきりいえば、新しい世代が出てきたということだ。ゲームとともに育った世代は、ゲームとともに生き、ゲームという表現形式を自然に受け入れる。マンガ世代といわれた私たちが大人になってもマンガを手放さないのと同じだ。
もはや「ゲーム」というより、「インタラクティブな仮想環境」みたいないい方のほうが適切かもしれない。ともあれ、今私たちが「ゲーム」と呼んでいるものは、今後私たちが「ゲーム」という名でイメージしているものからはみ出し、より大きな存在になっていくだろう。ゲームを研究対象とすることの意義のひとつは、ここにある。
「ゲームなんか研究して何の価値があるの?」という疑問をお持ちの方への、ひとつの回答として書いておく。
(2005年10月5日一部改訂)
The comments to this entry are closed.
Comments