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胸にペンを挿す理由

外出する際の持ち物やら着るものやらには、誰しもなんらかのこだわりがあると思う。いつものかばんとかお気に入りの帽子とか。読みかけの本を必ず、という場合もあるだろうし、携帯電話、というのはもはや必須、かもしれない。

私の場合は、胸ポケットのペンだ。基本的に何でもいいのだが、たいていは、黒と赤のボールペンにシャーペンがついたもので、そこらのコンビニで売ってる1本500円のやつ。

こうするようになったのは、頼まれた書き物が増えてきたからだ。締切日を守ることがそれほど金科玉条ではない場合も多いにせよ、共著などでは他の著者の方々に迷惑をかけるから、やはりプレッシャーはかかる。それまでは、胸にペンを挿すなんてかっこ悪いと思っていたのだが、どうにも背に腹はかえられないというか、背中に火がついたというか。ここ数年ずっとそんな感じできている。

というのが表向きの説明だが、実は内心若干の思い入れがある。よし、胸ポケットにペンを挿そうと決めた際の「決意」のようなものが、だ。内心のことなのでごちゃごちゃいろいろな気持ちが混ざっているのだが、単純化すると、「ものを書く人になろう」という決意、といっていい。

実際の書き物は、ほとんどがパソコンでする。それでも、外出する際にはプリントアウトを持ち出し、手で直したり書き加えたりする。長い文章を書いたことのある人ならわかると思うが、ああいうのは書いている時間より直している時間のほうが長い。前と後で矛盾していたり、変なところに変換ミスがあったり。それらを書き直したり、文章を付け加えたり、文章に合わせた図を考えてみたりといったことは、紙に一度出してからやる方が効率がいい。紙とペンだけあればいいので外出先でも作業でき、実際そうすることが多い。たいていは電車の中だ。座ると寝てしまうので立ったまま。こういうとき、さっとペンを取り出したりしまったりするのに、シャツの胸ポケットがちょうどいいのだ。

それから、もうひとつ重要な目的が、原稿になる以前のアイデアを書き留めるメモだ。これは、計画ができない。道を歩いていようが机に向かっていようが、食事をとっていようが風呂に入っていようがおかまいなく、突然、頭に「降ってくる」のだ。しかもたちの悪いことに、ほんのわずかの間に記憶から消え去ってしまう。後で書いておけばいいやと先伸ばしにすると、見事なくらい思い出せないのだ。こうやっていくつのアイデアを生まれる前に葬ってしまったことか。あるいは思い出すためにどれほど無駄な時間を過ごしたことか。こうした事態を避けるためには、常にアイデアを書き留める道具を持ち歩くしかない。

当然ながら、ペンを使うためには、書かれる紙類がいる。メモ用に使っているのは、カードサイズの手帳だ。これもどこへでも持っていく。ときには枕元にもおく。忘れてしまったときはとにかく何にでも書く。割り箸の袋でも、紙ナプキンにでも。どうしても手元になければ、あるところまで走る。忘れないように繰り返し唱えながら。傍から見れば、さぞかし気味が悪いだろうと思う。

つまり胸ポケットのペン、それから小さな手帳は、古くさいことばでいえば、「常在戦場」の覚悟の証だ。「武士にとっての刀」というとなんだか気取っているふうなので、商人にとっての算盤、農民にとっての鍬、魚屋にとっての天秤とでもいおうか。魚屋が天秤を枕元におくとは思わないが、要は商売道具を肌身離さず持ち歩くのだという決意だ。

だから、安物であることにも、意味がある。なくしたときに探し回らなければならなかったり、ショックで打ちひしがれてしまうようなものでは困るのだ。ペンは逃げ足の速いアイデアのしっぽをつかまえるための狩りの道具だ。大事なのは「獲物」であって、道具ではない。何を使ってでも書けるようでなければ。

同様に、書く際の状況や、「儀式」にもこだわらない。大小説家などで、何かの「儀式」をしないと書けないとかいう人がいるが、私はそういうものからは自由でありたい。芸術家でも大先生でもないのだ。気取っていてもしかたがないではないか。書きたいことは頭の中に山ほどある。それを文章のかたちで具現化するまでのプロセスは、可能な限り簡単なほうがいい。

というわけで、私にとってポケットのペンは、ちょっとした思い入れがあるのだ。このペンはできるだけ人に貸したくない。惜しいのではなく、不安なのだ。手元からペンがなくなるのが。

…読み返してみると、ぞっとするぐらい高慢な文章だと思う。まるでプロの文筆家気取りではないか。そんなつもりじゃなかったのだが。しょせんこの程度の筆力ということか。ううむ。

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Comments

凄くよく分かります。私も胸にペン挿し派です。メモ帳が手元にないときは手のひらが犠牲になってます。
それから元銀行員のせいか手元に電卓(12桁)がないと不安です。

Posted by: はぐれバンカー | April 08, 2005 at 07:01 AM

はぐれバンカーさん、コメントありがとうございます。
私も電卓は12桁です。いっしょに幾多の修羅場をかいくぐってきた、もう20年来の戦友。
普段は机の中にしまってありますが、他の電卓だと早くたたけなくて。

Posted by: 山口 浩 | April 08, 2005 at 05:08 PM

では、私も賛同に一票を
でもね、ふたがとれちゃったり、芯が出てたりしてシャツを汚したりしませんか?
かばんには必ず入れていますが、汚してしまうことが多く、落ち込むことも多い・・

Posted by: こえだ | April 15, 2005 at 02:19 PM

こえださん、コメントありがとうございます。
私は今のところ、ポケットに入れていてシャツを汚したことはありません。手に持っていて、あやまってシャツに書いてしまったことは何度もありますが。まあ、そのあたりも含めて「覚悟」だということです。

Posted by: 山口 浩 | April 15, 2005 at 10:46 PM

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