みなし子コンテンツ里親制度
みなし子コンテンツを救うための「コンテンツ再生機構」のようなものが必要ではないかという話の続き。
運営資金について、アーカイブされたものの再商品化収入が考えられるわけだが、もう1つ、民間、というか個人資金を利用することはできないだろうか。
前回の話のときにシルチョフさんからついたコメントの受け売りっぽいが、もともといっしょに書いて2分割したもの、といっても言い訳めいているか。まあともあれ。
基本的な発想は単純で、公的な機関としての「再生機構」なり「アーカイブ」なり(何と呼んでもいいのだが)がみなし子コンテンツを維持するためのコストを、個人を含む一般から募集できたら、ということだ。「みなし子」のたとえからすれば、さしずめ「里親」といったところだろう。コンテンツ関係企業が有力候補だろうが、デジタルストレージのコストは飛躍的に下がってきている。うまくやれば個人(ないし個人の少人数グループ)でも「里親」になれるぐらいに設定できるのではないか。
個人資金をあてにするのは、いってみれば「勝者の呪い」を積極的に活用するものだ。一般に人気のないコンテンツでも、強い愛着を持っているファンが少数でもいることはままある。こうした人たちにとっては、それを売り出した場合の採算ではなく、そのコンテンツを維持し、自らの管理の下におけること自体がうれしいはずだ。特に気になるのは、記録媒体の規格が変わるときだろう。映像コンテンツでいえば、VHSからDVDに移ってしばらくたつ。今後次世代DVDになって、その次になって、と進んでいったとき、今あるコンテンツのすべてがその恩恵を受けられるわけではない。今のシステムでは。将来もそのコンテンツを楽しみたい者なら、自分でコストを出してもいいから、と思っている者が少なくないはずだ。
いってみればPtoPネットワークの力を利用するイメージにやや近い。商業コンテンツが流通しなくなってもPtoPネットワークの中で生き残る例は多いと聞く。それは「最もそのコンテンツを高く評価する者」が保持し続けるからだ。この力を利用すればいい。ただし「里親」の権利を強くしすぎると、コンテンツの再利用に支障が出ることも考えられる。死蔵されてしまうからだ。したがって、「里親」の権利は、維持費用を負担し、自ら(所定の規定などにしたがって)楽しむほか、商品化された場合、あるいは他の個人が利用を求めてきた場合の収益を受け取る、といった程度に制限すべきだろう(このあたりは、最近はやりのアフィリエイトに近いイメージかもしれない)。
以前このblogで、「パンダの里親制度」について書いたことがあるが、まさにそれのコンテンツ版という見方もできる。里親はパンダを法的に所有するのではなく、飼育費用を負担することによって、パンダに関する数々の特典を享受できる。それと同じように、コンテンツの里親制度も、費用負担と収益分配のほか、個人的利用などを内容としたものとしたらいい。
当然、コンテンツ里親制度は、期間を定めた契約であるべきだ。期間が満了したら、その次の期間の里親を再募集する。値決めはオークションによるのがいいと思う。優良コンテンツは当然高い値がつくだろうから、買えるのは実質的に企業に限られ、当然利用も促進される。場合によっては、「里親」が、ひとつの作品の中の1キャラクターだけをさらに再「里子」に出せるスキームも整備したらいい。突然大化けしたキャラクターを企業に貸し出す、などということもできよう。
スキーム作りはけっこうたいへんだろうが、やる価値はあると思う。個人向けの「投資」としても可能性がある。リスクを厭わない「娯楽としての投資」資金を利用するわけだ。目の肥えたファン層に支えられたコンテンツ立国である日本にふさわしい政策と思う。うまくやればかなり面白いものができるのではないだろうか。
私にも、条件さえあえば「里親」になってもいいと思うコンテンツがいくつかある。実現しないかなぁ。
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