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May 09, 2005

続編の作り方:各論(1)ドラえもんシリーズ

少し前に「総論」として類型を少し書いてみたら意外に(!?)盛り上がった「続編の作り方」シリーズ。いよいよ各論。最初はやはりこれでしょう。最近声優陣を総入れ替えして話題を呼んだ「ドラえもん」シリーズ。ここでは劇場版、でいきたい。あ、劇場用作品の中には短編もあったりするが、ここでは長編を対象とする。

劇場版「ドラえもん」シリーズには専用サイトがある。劇場版の「ドラえもん」は1980年から始まり、2004年まで25本が製作されている。今年はお休みし、来年からまた始まるという。声優陣総入れ替えも関係しているのだろう。

とりあえずこれまでの25本を並べてみる。

1980 「映画ドラえもん のび太の恐竜」
1981 「映画ドラえもん のび太の宇宙開拓史」
1982 「映画ドラえもん のび太の大魔境」
1983 「映画ドラえもん のび太の海底奇岩城」
1984 「映画ドラえもん のび太の魔界大冒険」
1985 「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争」
1986 「映画ドラえもん のび太と鉄人兵団」
1987 「映画ドラえもん のび太と竜の騎士」
1988 「映画ドラえもん のび太のパラレル西遊記」
1989 「映画ドラえもん のび太の日本誕生」
1990 「映画ドラえもん のび太とアニマル惑星」
1991 「映画ドラえもん のび太のドラビアンナイト」
1992 「映画ドラえもん のび太と雲の王国」
1993 「映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮」
1994 「映画ドラえもん のび太と夢幻三剣士」
1995 「映画ドラえもん のび太の創世日記」
1996 「映画ドラえもん のび太と銀河超特急」
1997 「映画ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」
1998 「映画ドラえもん のび太の南海大冒険」
1999 「映画ドラえもん のび太の宇宙漂流記」
2000 「映画ドラえもん のび太の太陽王伝説」
2001 「映画ドラえもん のび太と翼の勇者たち」
2002 「映画ドラえもん のび太とロボット王国」
2003 「映画ドラえもん のび太とふしぎ風使い
2004 「映画ドラえもん のび太のワンニャン時空伝」

すべての作品が「映画ドラえもん のび太」まで同じタイトル。みごとなくらいの統一感だ、といいたいところだが、もちろんタイトルだけではない。劇場版「ドラえもん」25作にみられる共通要素を通して、「ドラえもん」における「続編の作り方」を少し考えてみる。


(1)異世界への冒険旅行である
テレビ版の「ドラえもん」は、典型的な「永遠の日常」型のストーリーである。つまり主人公を含め登場人物は一切歳をとらず、来る日も来る日も「日常生活」を繰り返す。季節の変化はあるが、季節がめぐればまたもと通り。あいもかわらず土管のある空き地で遊び、草野球チームで野球をし、宿題に追われ、おやつのドラ焼きをほおばる。常人には想像もできない特異な経験を重ねながら、のび太はまったく成長しない。

これに対し劇場版では、のび太やドラえもんをはじめ、主要キャラクターの面々が異世界で冒険を繰り広げる。これはふだんテレビで見ている「日常」とはまったく異なる世界だ。劇場版の「ドラえもん」は、すべて3月に公開されている。春休みの「定番」お出かけ先だ。子どもたちにとっても、ふだんテレビで見ている「ドラえもん」が「日常」であるのに対し、映画館へのお出かけは「非日常」だ。そうであればこそ、「日常」とはまったくちがった世界を見たい、ということなのだろう。また、異世界であるからこそ、「日常」であるテレビ版への影響を考えずに安心してストーリーを展開できるということも大きな要素かもしれない。最近のアニメは、テレビ版と劇場版とを組み合わせて展開する手法が多くみられる(「ポケットモンスター」や「名探偵コナン」あたりは典型的だ)が、「ドラえもん」では逆にテレビ版と劇場版を意識的に切り離しているようにみえる。長期間にわたって続編を作り続けるために、後のストーリー展開に与える影響を最小限に抑えるという意味では、ひとつの方法ではないだろうか。


(2)「のび太」を前面に押し出している
テレビ放映されている「ドラえもん」も、主人公はもちろんのび太なのだが、タイトルが「ドラえもん」ということもあり、どうしてもドラえもんの印象のほうが強かった。もともと、平凡に暮らす少年のところに異世界の住人がやってきてすみつくというのは藤子・F・不二雄のほとんどのマンガの基本パターンなのだが、「ドラえもん」の場合はあまりに長く続いたためと、おそらくはこれまでドラえもんの声を演じていた大山のぶ代の強烈な個性のために、のび太が「食われて」しまっていたのだろう。

劇場版のほうでは、タイトルだけでなく内容においても、テレビ版に比べてのび太の存在感がより大きくなっている。もちろんドラえもんが重要なキャラクターであることにはちがいないのだが、テレビ版のほうではドラえもんが出す道具が巻き起こす騒ぎを中心に話が展開していくのと比べれば、劇場版ではストーリーのうえでドラえもんの重みが相対的に低いとはいえる。おそらく、上記の「異世界への冒険旅行」においては、ドラえもんの出す道具がストーリー展開において果たす役割が相対的に小さいことに起因するのだろう。また、のび太の存在感の大きさは、やはり映画として主人公への感情移入を引き出すために必要であると考えることもできる。異世界であるがゆえに、「少し頼もしいのび太」を見せてもテレビ版ののび太観をこわさないでよいというわけだ。


(3)基本構造を踏襲している
劇場版で、のび太やドラえもんたちを異世界での冒険に引き込むのは、その「異世界の住人」である。それらは、たとえば1980年の「のび太の恐竜」では発見した恐竜の卵から孵化した恐竜のピー助であり、2004年の「ワンニャン時空伝」では、自らが古代に連れて行った子犬のイチだ。これは藤子マンガの基本構造である「異世界の住人が少年の家に住みつく」パターンとは逆ではあるが、よく似た構造を持っている。本来「異世界の住人」であったドラえもんも含め、レギュラーの登場人物たち全員が「日常」の代表として、非日常の世界へ行くのだ。このパターンを律儀に守り続けるという意味では、非常に安定感のある作り方だ。奇をてらわないアプローチは、アニメ界の「巨匠」たちとは一線を画す「職人芸」であるともいえないか。

主人公が異世界に行くのは基本パターンと「逆」だと上に書いたが、実はこのパターンの藤子マンガもある。マンガ「モジャ公」だ。いっときテレビアニメ化されたときは基本藤子パターンの「異世界の住人が来る」型のストーリーに変えられていたが、原作では、主人公の少年天野空夫が宇宙から来たモジャ公とドンモとともに宇宙旅行に出かける、というストーリーだった。ちょうどのび太たちが古代やら宇宙やらパラレルワールドやらに出かけるのと同じように、だ。他の作品とは若干毛色がちがい、それゆえか一般受けしなかった「モジャ公」だが、その「遺伝子」は劇場版「ドラえもん」シリーズの中に受け継がれているのかもしれない。この構造が、続編の製作をやりやすくしているという点については上記の通り。


次回の劇場版は2006年。1980年の劇場用作品第1作をリメークした「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」だそうだ。声優陣を一新し、新たな気持ちで原点から再構築、ということなのだろう。しかし見ようによっては、いよいよドラえもんもリメークの時代に入った、とみることもできる。いってみれば、「ドラえもん」はすでに「古典」(classic)になったのだ。

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