南北問題の「ご近所」化
「南北問題」というと、ふつうは国際問題だ。Wikipediaでは、「1960年代に入って起こった(北の)先進資本国と(南の)発展途上国の経済格差とその是正をめぐる大きな問題」と定義している。
あまり時間がないのでアイデアだけメモしておく。この定義の前提は崩れつつあるような気がする。そしてそれは、先進国において大きな問題となりつつあるように思われる。それ自体は新しい発見でも何でもないのだが、着目点を変えると何かちがったことがいえるかもしれないぞ、という発想のタネまきとして、取り急ぎ。
開発経済学などで南北間の経済格差を考える際には、暗黙の前提がある。国はそれ全体が1つの経済の単位であり、その中での構成は比較的均質である、といったイメージだ。だから国と国とをあたかも1人の人であるかのように「競争力」だの「優位」だのと論じることができる。
むろん国内の南北問題というのもある。イタリアの北部地域と南部地域の経済格差などは典型的といえよう。タイなんかも北部と南部の差があるし、ドイツだと東西になろうか。近年発展の著しい中国やインドでも都市部と農村部では大きな経済格差が生じている。しかしそれらは、「南北」かどうかはともかく、いずれも地理的な差に起因する格差という点では共通だ。つまり、ひとかたまりとなった地理的な経済圏の中では比較的格差が少なく、地域間、国家間での格差が大きい、という図式だ。
ここで「崩れつつあるのではないか」といっているのは、このような地理的な差に結びついた格差だ。それがなくなるということはもちろんなくて、先進国および途上国の双方において、地理的な差以外の格差、同じ地域と考えられるひとかたまりの経済圏の中での格差の広がりが出てきているのではないか、ということだ。
何を根拠にそんなことをいうのか?というと、経済のグローバル化、IT化、産業の高度化だ。以前から、経済のグローバル化に伴って先進国では国内産業の空洞化が進む、という議論がされてきた。いわゆる「要素価格の均等化」のひとつの帰結だ。この議論が主に念頭においていたのは、製造業だった。モノは貿易によって国境を越えることができるからだ。しかしサービス業は国内にとどまるからこうした変化は生じにくいはず、という理屈だった。
しかし近年は、サービス業においても、要素価格の均等化が進みつつある。たとえばIT産業などにおけるアウトソーシングの流れがそれだ。労働集約型産業はもはやかつてのような低付加価値型のものばかりではない。高度な技術や知識・ノウハウを要するシステム開発やハイタッチなサービスを要求されるカスタマーサポートといった分野も、海外アウトソーシングの対象となったりする。もう1つは、労働者そのものが国境を越えてしまう場合だ。今や資本も労働も、以前と比べれば飛躍的に簡単に海外へ移動できるようになった。コンビニの店員のかなり多くが途上国の人たちに代わっていることに気づかない人はいないだろう。
この問題は、これまで国内産業の空洞化という面で注目されてきた。その点においては、なんら新しいものはない。しかし、もしこのことを、「南北問題の『ご近所化』」というふうに考えてみたらどうなるだろう?自分たちの社会と遠い異国との固定化された経済格差の問題だとすれば、どうしても関心の度合いは低くなりがちだが、今や南北問題はすぐそこにある。日本国内で貧富の差が拡大していることは、これまで均質だった社会に階層分化が入りこむ点では望ましくないわけだが、国境という要素をとっぱらって考えると(「Imagine」かいな)、必ずしもそうともいえない。これまで国境という壁に隠されて見えなかった「搾取の構造」(なんだか思想がかった表現だが)が目に見えるようになっただけなのだ。中国に富裕層と貧困層が生じてきているのと同じように、日本にも富裕層と貧困層が形成される。だから軽い問題だとかいうつもりはまったくないのだが、どういうインプリケーションを持っているかもよく考えていないのだが、新しい視点からものを見ると、何か新しいことをいえるきっかけになるかもしれない。これから少し考えていきたい。
当然ながら、伝統的な意味での南北問題への対策についても、新たに考慮すべき要素が出てきたことになる。これまで南北問題への対策として語られてきた弱小産業保護なんかも見直さなければならない場合が出てくるだろう。
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