ニートに就職支援ってどうよ?
政府がニート・フリーター対策に乗り出した。関係閣僚でつくる「若者自立・挑戦戦略会議」を国会内で開き、就職や仕事に役立つ知識や技術を学べる支援講座「草の根eラーニング・システム」の構築などについて協議した。このシステムは文部科学省と経済産業省、厚生労働省が連携したもので、若者の就職支援センター「ジョブカフェ」や大学などを通じ、(1)仕事に応じた必要な知識を提供したり、(2)就労するのに必要な知識や技術を診断したりするのが柱だ。
お気持ちはわかるのだが、なんだかとても徒労に終わりそうな予感がする。農村の「嫁来い作戦」に似た印象がある、といったらどちらにも失礼かもしれないが。
もちろん、政府が対策をとろうとするのはある意味当然だ。少子高齢化の折、就業人口の確保・増加は、納税者として、またそう遠くない将来の高齢者として、私もなんとかしてもらいたいと思う。ただ上記のような対応のやり方は、どうも尻尾を持って動物を動かそうとしているような回りくどさが感じられる。
そもそもこの問題には、「職がない」と「意欲がない」の二方向がある。このうち「職がない」方については、少なくとも現状では、中高年の雇用を守るのと引き換えになっている要素が少なくない。たとえば2004年版のOECD Employment Outlookはこのあたりを冷徹に指摘していて(参考)、中高年男性層の雇用状況が諸外国に比べて恵まれた状況にあるのに対し、若年層や女性の就業機会について改善が必要な状況であり、それなしには少子高齢化の問題への対応に懸念が生じることを示唆している。しかし政府の政策は、どうもここに触れたがらないふしがあるように思う。
「意欲がない」問題について取り組むのは、まず上記のことを一生懸命やってからではないか、という気がする。別に中高年男性の雇用を奪えといっているわけではないが、パイの配分が彼らに偏っていることによって、若者や女性に対する配分が減っている事実、それが就業率の差にあらわれていることはきちんと認識すべきだ。中高年層の失業は影響が大きいという面があることは否定しない。しないが、被雇用者数に手をつけにくいにしても、パイ、つまり報酬の配分には多少なりと手をつけられるのではないか。消費への影響とか気にしなければならないことはたくさんあるにしても、手をつける努力が必要だと思う。どうやって?民間企業の行動を促すためには、やはり税制をうまく使うしかないのではないか。
で、それを前提として、「意欲がない」問題のほうだが、こちらのほうは正直かなり難しいだろう。上記の嫁来い作戦もそうだが、気の進まない人たちを連れてきて「あるべき姿」を吹き込んでも、都合よく動いてくれる可能性は低い。やらなければならないとは思うが、それ自体で大きな効果があるとはあまり思えない。
内閣府のサイトに「「青少年の就労に関する研究調査(中間報告)」というのが出ている。ニート(非求職型及び非希望型の「無業者」)が全国で84万7千人いる、というので有名になったやつだ。で、そこではニートが低所得世帯に属する場合が意外に多い、と出ていて、金持ちの子どもが就職せずにぶらぶら、といった図式が必ずしも成り立たないことを示している。このことはあちこちのニュースやblogで取り上げられているから、わざわざここで詳しく書くまでもない。
ただこのあたりは、篠﨑武久(2004)「非就業・非在学・非求職中の若年無業者(NEET)に関する一考察―日本版総合社会調査(JGSS)から見るNEET、失業者、就業者の比較―」なんかでは微妙にちがっている。上記の内閣府のものに比べればサンプル数は少ないが、こちらもそこそこの数があるから、それなりの信頼性はある。ここでは2000~2002年のデータを使用していて、高学歴者は少ないという点では共通だが、親と同居の割合、親の所得水準、本人の「期待水準」が高いといった傾向があるとしている。で、本人の「期待」を調整、もっとはっきりいえば「身の丈」に合った水準まで下げる助けをする政策が必要、という結論を導いている。
私としては、直感に基づいたひとつの仮説をもっていて、機会があれば確かめたいと思っている。目を日本国内から世界に広げてみてみると、何かある種の「方向性」のようなものが見えてくるのではないか、と。
仮説というのは、豊かな社会と充実した教育、そして親心がニートを生む、というものだ。先ほどの内閣府の調査結果に反するではないか、といわれるかもしれない。ニートの家庭は必ずしも裕福ではない、と。しかし日本という国は、上を見ればきりがないものの、贅沢をいわなければ、森永卓郎氏ではないが年収300万円でもそれなりに暮らせるのだ。世界の多くの国で、貧困が掛け値なしに生死に関わる状態におかれているのとはちがう。その意味での「豊かな社会」の豊かな人々だ。
で、教育は子どもたちの「期待」を高める。自分は「何者か」になれるのではないかという期待だ。そしてその期待を砕かれることがニートへとつながる。ちょっとちがう話だが、中南米あたりの国での研究(うろ覚えだ)で、初等教育を充実させたら若者たちがよりよい職業を求めるようになり、プランテーションみたいなところでのブルーカラー職のなり手が少なくなってしまったというものがあったと思う。
最後の「親心」は、親が子どもの面倒をみる文化というものが、ニートの増加に影響しているのではないか、ということだ。たとえば今、中国や韓国でもニートが増加しているという。日本からみれば豊かさにはかなりの格差がある両国(いっしょにすると韓国の方々は怒るかもしれないが)でも同じことが生じるのだ。共通する要素としては、上の2つのほか、「親が子どもの面倒をみる文化」がありそうな気がするがどうだろうか。それから、「若年層が働かないという悩み」というと、思い出すのが中東の産油国だ。若者たちがかっこいい仕事にばかり就きたがって働かず、結果として単純労働はフィリピンあたりの出稼ぎ労働者に頼ってしまっていたりする。これも親世代に面倒をみてもらうことで可能になっているわけだ。
つまり「意欲がない」問題は、日本社会固有の問題ではなく、一定の条件があればどこでも生じうる一般的な現象なのではないか、と思われるふしがあるのだ。とすれば対策は若者をどうこうではなく、もっと社会全体に関係するものとなってきそうな気がする。願わくば上記の「職がない」問題の解決自体が「意欲がない」問題の突破口になってほしいものだ。ある程度は期待できるかもしれない。チャンスの存在がモチベーションを高めることはよくあるし。親心を否定するのは難しいが、親が「頼れない」存在になったらどうだろう。ただでさえ現在は、親世代に富も雇用も遍在しているのだ。ここをぎゅっと絞って切羽詰らせれば…。
…暴論めいてきたので、このあたりでとりあえずやめる。繰り返すが未検証の、まだ思いつきレベルに過ぎない仮説だ。この問題は、少し長期的なスパンで取り組みたいし、可能ならきちんとまとめてみたい。アドバイス、コメント、情報などがあれば歓迎する(罵倒は勘弁して。打たれ弱いので)のでぜひよろしく。
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Comments
しかし、いかようにも対策を講じないと!
悩んだり、思っているだけでは
世の中よくならないので・・・。
Posted by: ハイド | November 19, 2007 02:55 PM
ハイドさん、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、思っているだけでは世の中よくなりません。就業支援も確かに必要だと思いますが、この記事を書いた2年前の時点では、「これだけでは不足だ」という思いがありました。本人たちだけに責任を負わせるようなやり方はよくない、と。これは既得権者である中高年正社員層の問題でもあるという主張ですね。
Posted by: 山口 浩 | November 20, 2007 11:42 AM