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June 12, 2005

きらいなCMの条件

いらいらすると、「きらいなもの」について考えたくなる。なぜきらいかを考え、悪いところをあげつらって、けなして、溜飲を下げようというわけだ。

で、「きらいなCM」について考えてみたくなった。我ながらなんという後ろ向きな思考。

といっても、特定のCMをとりあげてどうこう言い放つのもあまり趣味のいいことではないと思うので、「こういうCMはきらいだ」という条件を考えてみた。マーケティングの理論と整合的かどうかはよくわからないが。

(1)あまりに頻繁に放映されるもの
同じCMを繰り返して放映するのがいや、という意見はよくある。それもそうなのだが、私としては、全体としてあまりに頻繁に放映されるCMのほうがいやだ。特にコンシューマ向けの製品などでよくある。マーケティングでは累積効果というのがある。専門外なのでよく知らないが、負の累積効果というのもあるのだろうか。なかったらぜひ考えてもらいたい。あまりに頻繁に放映されると、本当に辟易する。

で、その筋の方はぜひ考えていただきたいのだが、人にはたいてい、好みの番組というのがある。いつもその番組は見る、というわけだ。で、忙しくなると、テレビを見る時間は全体として減ってくるわけだが、好きな番組はなんとか時間をやりくりして見ようとする。どうかすると、1日のうちに見るのはその番組だけ、なんてことにもなる。もしその番組であるCMが必ず流されているとどうなるか。その人の見るテレビ番組で流されるCMの大部分がそのCMになってしまって、なんだかそのCMばかり見ているような気になってしまう。こういうのって理論的に何かあるのだろうか。

(2)音楽が途中で終わるもの
CMのバックにいい音楽が流れていると、CMの効果は格段に上がる。好きな音楽が流れれば、商品なりブランドなり会社なりのイメージがぐっとよくなるわけだ。音楽に企業の姿勢を伝えたり想定される顧客層の価値観を刺激したり、いろいろなメッセージをこめることもできる。しかし、その音楽が途中で切れてしまうCMがよくある。あれは許せない。CM時間の都合でぶち切るのはあんまりではないか。キリが悪いではないか。その音楽に対する冒涜ではないか。というわけで、かえってその音楽のファンからの支持を失ってしまうことにならないか、と思う。

(3)ミスリーディングなもの
今はJAROもあるし、明白な嘘をつくようなCMはまずない。しかしそれでも、ミスリーディングというか、半ば意図的に誤解を招きそうなイメージを与えるものがある。これはCMそのものというより、商品そのものの問題なのかもしれない。そういうのは申し訳ないが卑怯だと思う。

これらのすべてにあてはまるのは、現在放映されているものでいえば、某酒類のCMだ。同じ曲を何度も何度も、歌い手を変えてちがうバージョンで放映している。しかもその曲が尻切れトンボで、実になんともキリの悪いところで切れてしまうのだ。そもそもその商品自体がまがいもの、というのがさらに気に入らない。本物と偽るようなCMではもちろんないが、いかにも誤解しやすそうなイメージを作っている。もういやだ。見たくない。その商品も見たくない。その商品カテゴリ自体がいやだ。たばこのCMがたばこの害を訴えるメッセージを入れているのと同じように、大きく「これはにせものです」とでも出させたらどうだろうか。

…やはり「きらいなもの」を書いてもあまりすっきりしない。なんだか書く前より気分が悪くなってきたので、このへんでやめる。これは私だけの好みなのだろうが、CM制作会社の皆さんは、ぜひご一考いただければ。

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